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2019/07/01

「いだてん」を語ろう~歌舞伎役者・中村勘九郎

前半の主人公・金栗四三を演じる勘九郎は、第1回のラストまで登場しない。(実は冒頭に登場しているのだが、顔は写らない)

彼は初回のクライマックスで、「いだてんだ!」の声にのって登場する。激しい雨の中、四三の顔には帽子の染料が流れて、隈取りのようになっている。歌舞伎役者らしい登場だが、その後、何度も勘九郎に見とれることになるとは、この時は想像できなかった。

とにかく、体が自由自在に動くのだ。走るシーンはもちろんだが、動きが伸びやかで、見ていて心地よい。そして、可動域がとてつもなく大きい(ように見える)。若き志ん生を演じる森山未來の身体能力もすばらしいが、こちらはシャープな印象が強い。それに対して、勘九郎の動きは空気を抱きとめるようなたおやかさがある。これは、舞か? ダンスではなく、日本古来の舞。

それから、表情。顔の小さな筋肉一つ一つをコントロールできているのか? 睫毛一本まで自在に動かせるのか? と、驚かされるほどの微妙な表情。そこからの、破顔一笑。あるいは、涙。その一瞬一瞬が目に焼きつくのだ。顔全体をくしゃくしゃにした笑顔。笑みを消し、自分が進むべき道をキッと見据える顔。これは、歌舞伎の見得ではないか?

今は舞台も映像も兼ねる役者さんが多く、舞台の人がテレビに出ると芝居が大げさで・・・というのは、もう過去の話だろう。それでも、勘九郎の演技を見て、何度も「ああ、歌舞伎の人だ・・・」と心でつぶやいた。歌舞伎のもつおもしろさが、勘九郎を媒体にして、テレビの画面からあふれている。

金栗四三という「とつけむにゃあ」人物を描くにあたり、中村勘九郎は必然の役者だったのだろう。金栗の純朴さとクレバーさ、走ることに関する暴走機関車っぷり、それでいて人に慕われる気質などなど。勘九郎の気質と(決して、勘九郎がそういう性格だというのではない。役柄との相性の問題だと思う)、歌舞伎の舞台で鍛えてきた表現方法。それが、歴史上の偉人でもない金栗四三という人を、ドラマの推進力として成功させたのだと思う。

豊か。

それが、「いだてん」での勘九郎を見ていて感じることだ。そして、豊かさの根源には、歌舞伎役者として生きてきた彼の人生そのものがあるのだろう。

 

 

2019/05/31

「いだてん」を語ろう

「楽しいの? 楽しくないの?」

第一回の主人公(と言ってもいいだろう)嘉納治五郎は、そう言った。永井道明が視察してきたオリンピックに対する言葉だ。嘉納先生はさらっと言い放ったが、妙に耳に残った。「楽しいの? 楽しくないの?」

これは、キーワードなのではないか。

日本人が初めて参加したストックホルムオリンピック(1912年)を起点にして、前回の東京オリンピックに至る道筋を描く(らしい)このドラマ。オリンピックのプロパガンダではないのかという疑念を拭い去れないまま第一回を見たが、この台詞で邪推は吹き飛んだ。金メダルとか、感動とか、そんなことではないのだ、きっと。そんな安いドラマを、クドカンが書くわけがなかった。

スポーツという概念すらなかった時代から、明治の世になって西洋からスポーツは輸入されてきた。しかし、それはスポーツなんだか、運動なんだか、体育なんだか。何を目的として、何をするのか。ただひたすら試行錯誤の繰り返しだった。指導者を海外留学させ、学ばせ、それを日本に広める。ただし、欧米との体格差や、習慣風習の違いなど、事は簡単ではない。要するに、当時はスポーツに熱中するのは「遊んでいる」という認識だった、らしい。

体を鍛えるために。外国に負けない強い体をつくるために。おそらく体育教育における国の思惑は、そんなところだったのだろう。それは、強い兵隊をつくることでもあるのだから。

それなのに、嘉納治五郎は言ってしまう。「楽しいの? 楽しくないの?」 まるで、楽しくなければやる価値はないよ、と言いたげに。

 

「いだてん」第20回。ストックホルムの8年後、アントワープで、体協からの引退を決意した嘉納治五郎はこう言う。

「50年後、100年後の選手たちが、運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としてはうれしいよねえ」

スポーツの根底にあるのは、「楽しい」という気持ち。少なくとも嘉納先生は、そう信じている。「柔道」というスポーツを生み、日本の体育教育を引っ張ってきた嘉納治五郎は、そういう人物として描かれているのだ。

この回では、ストックホルムに参加した短距離の三島弥彦が、選手の激励に訪れる。かつて彼と仲間たち「天狗倶楽部」がよくやっていたエールを、三島は一人で披露してくれる。その文言に、あらためてハッとさせられる。

 

「我らはスポーツを愛し スポーツに愛され ただ純粋にスポーツを楽しむために活動する 元気の権化」

 

第一回から何度か繰り返されてきたこのエール。これこそが、スポーツマンたる者の精神ではないか。「ただ純粋にスポーツを楽しむ」ことは、難しい。でも、本来は、スポーツとはそういうシンプルなものなはずだ。

 

「いだてん~東京オリムピック噺」は、オリンピックのもつ正負両面を鮮やかに描き出しつつ、スポーツの本質を鮮やかに浮かび上がらせている。

 

2017/11/29

奈良旅

奈良に行ってきました。四回目。

1日目  興福寺・春日大社・二月堂(東大寺)
2日目  東大寺(大仏殿・戒壇院)・薬師寺・唐招提寺・大神神社・甘樫の丘
3日目  法隆寺

奈良はまだ紅葉シーズンで、お天気もよく(風は冷たかった)、充実した三日間でした。

平日を挟んだのと、2・3日目は早めの時間に動き始めたので、
あまり混雑にあたることもなく、ゆっくり拝観できたのがとってもよかったです。
四回目になると、徐々に地理的なことも頭に入ってきて、いろいろ計画を立てるのも楽しかった!

友人には「何回も行くほど奈良はいいのか?」と言われましたが・・・良いのです!

京都に比べると地味と言われますが、その地味さ加減が好きなんです(笑)
静かで、時間も空間もゆったりしていて。
ものすごく歴史は古いけれど、威圧感がなくて。

神社仏閣もいいですが、明日香村あたりの寺院や遺跡も好きですね。
前回は、そのあたりをひたすら歩き回って、足腰ボロボロになりましたけど。

しかし、ここ何年かで、お店やホテルが増えましたね。
JR奈良駅もすっかりきれいになって。

次はいつ行けるかわかりませんが、また必ず行きます!


2017/04/13

その強さこそ

浅田真央が休養中のある試合を見て、ひどく驚いたことがある。

全然、違う。

浅田真央みたいなスケーティングができている選手がいないのだ。
彼女があたりまえにやっていたことが、どれほど高い水準だったのか、
そのとき初めて気づかされた(遅すぎる)。

復帰してからの彼女は、どこか無理をしているようで、ちょっと痛々しかった。
「無理」ではなかったのだろう。
きっと必要なステップだったのだ。
昨日の記者会見を見ていて、そう思った。

一番印象的だったのは、最後に涙をこらえて後ろを向いて、
精一杯の笑顔で振り向いた場面だった。

強いな、と。

その強さで、世界を舞台に闘ってきたんだなあ。
あの真央スマイルは、そんな強さに裏打ちされていたんだ。
スケート人生を通して、あんなしなやかな強さを身につけたなんて、
最高にかっこいいじゃないか。
ソチでのフリー演技を、私は一生忘れられないだろうけど、
昨日の笑顔も忘れられないだろうな。

浅田真央さん、おつかれさま。
その強さこそ、最強の財産です。
これからも、笑顔で人生を楽しんでくださいね。

2017/04/04

「精霊の守り人Ⅱ」を見終えて

ちょっと遅くなりましたが、感想など。

大河ドラマは、役者さんが一年という長い時間、一つの役を演じとおすので、
時間がたつにつれて、役になじんでいくというか、役と一体化していく過程を見るのが楽しいのです。
このドラマも、「大河ファンタジー」と銘打っているだけあって、
やはり時間をかけて撮るドラマのおもしろさというのが、感じられるようになってきました。

もちろん、Ⅱだけ見ても、話にはついていけるのですが、
まだ手探りで演じていた頃のⅠを知っていると、Ⅱの充実ぶりに感動してしまうのです。
長い時間、一つの役に取り組む役者さんの力を感じます。

ところで、今回の原作になった「神の守り人」を再読しました。
どこまでが原作通りなのか、記憶が定かでなかったもので。
やはり私の記憶はかなり怪しくて、原作どおりと思っていたシーンが全く違っていたり、その逆も(苦笑)
ただ、物語を流れている「人の思い」は、たしかにドラマに受け継がれていました。
そして、読みながら、脳内ではドラマのキャストが生き生きと躍動しておりました。
やや原作のイメージと違う方もいましたが、そこはそれ。
あまり違和感を感じずに読めたのは、ドラマが多少の設定の変更はあったにしろ、
原作が描きたいものは何なのかというテーマ性を、しっかりとらえていたからではないかと思っています。

ここ10年?20年?で、「ファンタジー」の受けとめられ方はだいぶ変わったと思います。
(かく言う私も、以前は「ファンタジー苦手」と公言しておりました。)
それでも、やっぱり「ファンタジー」と明言して、真っ向からドラマ作りに挑んだNHKには敬意を表したい。
そして、NHKを本気にさせる物語を生み出した上橋菜穂子さんは、やっぱりすばらしい。
そんなことをつくづく考えさせられたシーズンⅡでした。

そして、シーズンⅢはいよいよバルサがカンバルへ・・・!
槍舞いもあるというし、戦が始まってしまうし、ということはタンダも・・・!
なんとしても最後まで見届けねば!という気持ちでいます。


2017/01/30

精霊の守り人Ⅱ 雑感

「精霊の守り人Ⅱ 悲しき破壊神」、第2回まで見ました。

相変わらず、あの物語世界の視覚化はすごいですね。
もう、あれを見てるだけで楽しいです。

シーズン1に比べると、役者さんたちがみな役になじんできたように感じます。

特に、バルサとタンダ。
綾瀬さんのバルサは、前シリーズではすごくがんばってるなあという感じがしたのですが、
今回は、すごく自然。
そして、タンダといるのが、すごくしっくり来る。
そんな感じがします。

もっとも、原作とは設定をちょっと変えていて、
「前シリーズでのバルサは、原作より若い」
というのを、つい最近知ったので、ああ、そうだったのか、と。
「闇の守り人」のエピソードをⅢにもっていくためにそうなったみたいです。
ああ、だったら、前作はあれでよかったのか、と。
そして、今回はそれより4つ歳をとったバルサが見られるわけで。

ヒュウゴもかっこいいし、シハナもかっこいいし、
それになんといっても、ちょっと大人になったチャグム!
トーサとのシーンは、すごくよかったです。
これからのチャグムの生きていく姿が、ものすごく楽しみ。

Ⅱの原作は、実はシリーズ中一番苦手な「神の守り人」。
なぜ苦手かというと、読んでいて非常につらいからです。
どうすればアスラを守ってやれるのか、本当にわからないから。
もちろん、物語はひとつの解決にいたるわけですが・・・。
読み返すと、やっぱり悩んじゃうんですよね。

でも、バルサと一緒に悩みながら、見ようと思います。

2016/12/22

「真田丸」まとめ~まるで奇跡のような~

始めの2~3回を見て、強烈に感じたのは、

 「役者さんたちがすごく楽しそう!」

ということでした。

コミカルなシーンだから楽しそうなんじゃなくて。
どの役者さんも、心からその役を楽しんで演じているなあ、と。

それは回を追うごとに強くなっていって、
みなさん、自分の役と、この作品世界を本当に愛しているんだと感じられるようになって。

だから、見ているこちらも、すごく楽しかったし、自然に愛情を注ぐようになっていきました。
そうして、いろんな役者さんたちに注目させられました。

 「もうこの役は、ほかの人が演じられないんじゃないか」と思うようなはまり役になったり。
 「この役のハードル、めっちゃ上がったなあ。次に演じる人、気の毒」とため息をついたり。
 「この人、こんな役ができたんだ~(失礼!) すごいすごい!」
 「こんな役者さんがいたんだ~。なんで今まで注目されなかったんだろう」

どの役のどなたのことかは省略しますが(たくさんいて、書ききれない)、
生き生きと演じている役者さんたちを見ているのは、本当に気持ちがいいものです。

また、さまざまなイベントも開かれましたが、
役者さんたちがすすんで出演・参加を表明してくれたと聞いています。
これもまた、なかなかないことですね。

役者さんたちがそんなにも「真田丸愛」を抱いたのは、
一人ひとりを血の通った人間として描ききった脚本の力と、
それを映像化するのに力を惜しまなかったスタッフさんたちのおかげでしょう。
役者さんたちも人間です。
彼らの心を揺さぶるような脚本とスタッフの情熱がなければ、「真田丸」はあり得なかった。

「真田丸」を作るのに必要な力が理想的な力で結集したからこそ、
あの奇跡のようなドラマが成り立ったのだと思います。

そして、視聴者として、その「奇跡」を目の当たりにできたこと、
一緒に笑ったり泣いたりしながら、「真田丸」を愛することができたのは、
本当に幸せだったと、心の底から思うのです。


こんな素敵な大河ドラマを世に送り出してくれた三谷幸喜さん、
スタッフのみなさん、キャストのみなさんに心からの感謝を。
本当にありがとうございました。

それから、私のつたないらくがきを読んでくださったみなさんも、ありがとうございました。
一応、これにて私の「まとめ」は終了です。
まあ、総集編を見て、何かつぶやく可能性はありますが(笑)


最後に。
私にとって『ベストof 大河ドラマ』は、ずっと「独眼竜政宗」だったのですが、
今は、「真田丸」がマイベストです!

2016/12/21

真田丸まとめ~「歴史」の視点~

私たちは、歴史を「結果」として知っています。

織田信長は明智光秀に攻められて自害するし、
豊臣秀吉は死後のことを憂いながら死んでいく。
真田幸村は、大坂の陣で家康を追い詰めるけれど、あと一歩及ばず敗れる。

正直なところ、「真田丸」の企画を聞いたとき思ったことは、
「最後、負けて死んじゃう人じゃん。悲しいラストは嫌だなあ」
・・・我ながら、なんと浅はかだったことか。

「真田丸」は、全く異なる角度から歴史を見せてくれました。

私は、このドラマを見ていて、現代から過去を眺めるのではなく、
その「時」を生きている人たちの視点で物事を見ているような気分になりました。

  自分の選択が、決断が、是か非か、それはわからない。
  当事者には、「結果」はわからないのだから、今、自分がなし得ることを、する。
  そうして、生きていく。

つまり、連綿と続いてきた人の営み、それこそが歴史だと、初めて実感させられたのです。

今まで、結果から過去を振り返るような見方しかしてこなかった私は、
初めて逆方向から歴史というものを眺めたような気がします。
見えてきたものは、右往左往する人たちの姿でした。
歴史に名を残した人も、そうでない人も、それぞれの人生を生きていたんだ、と。


こんな感覚を味わえたのは、やはり脚本のブレなさだったと思います。
  信繁を軸とした真田家の視点を守り通したこと。
  登場人物一人ひとりのもつ物語を大事にしたこと。
この二つを両立させるのって、すごく難しいことだと思うのですが、三谷さんは見事にやってのけました。
すばらしかったです。

さて、「まとめ」をつらつらと書いてますが、
あともう一つ、どうしても書いておきたいことがあるので、それで打ち止めとしたいと思います。
もしよろしければ、もう少しだけおつきあいください。

2016/12/20

真田丸まとめ~ヒーロー不在の物語~

 完全無欠の人間はいない。
 非の打ちどころのない人間なんていたら、気持ち悪いじゃないか。
 とはいえ、どこか欠けたところがあるからこそ、「完全なる者=ヒーロー」に私たちは憧れる。
 物語を創作していくと、ついそういうヒーローを登場させたくなってしまう。

 何かあると、颯爽と現れ、物事を解決してくれる。
 やることなすこと、常に正しい(間違っているのは、周りの人たち)。
 老若男女、誰にでも好かれ、愛される。

・・・こういうパターン、今までの大河で、けっこうあった気がします。
でも、大河の主人公だって、間違うこともあるでしょう?
うまくいかなくて悩んだり、考えて考えてやったことが裏目に出たり。
そういうことって、あるでしょう?
だって、人間だもの。
私は、「○○さま(主人公)のやることはすべて正しい」的なドラマが嫌いで、
そういうの見ると、サーっと冷めちゃうのですが、「真田丸」は違いました。

誤解を恐れずにあえて言うなら、

  誰一人、かっこよくない!!

つまり、ヒーロー不在なのです。
主人公にしてからが、人の良さだけが取り柄の源次郎。
彼は、いろんな人に振り回されて右往左往してるし(父に振り回され、秀吉に振り回され、五人衆に振り回され)。
昌幸も、信幸も、ラスボス・家康も、上杉も、北条も、とにかく、みんなみんな、かっこ悪い(笑)
先を読み損じたり、貧乏くじを引かされたり、脅えたり、泣いたり・・・とにかくもう、みんな人間くさい。
というか、人間なのです、みんな。

だから、迷うし、へこみもするし、躍り上がって喜ぶこともあれば、激怒することもある。
私たちとなんら変わらない人間たちが、一生懸命己の宿命に生きた道筋が、いわば「歴史」なのだと、
「真田丸」を見ていて、つくづく感じたことなのです。


というわけで、当然、ヒロインも不在でした。
いや、一応、きりちゃんだとは思うんですが、これだけ毀誉褒貶の激しかったヒロインっています?(笑)
源次郎とは「くされ縁」って、あんた・・・(笑)
主人公と相手役の関係を「くされ縁」の一言で切って捨てるなんて、さすが戦国のヤンキー!(笑)
でも、そういうのが、不思議とすとんと胸に落ちるんですよね。
素敵な女性陣もたくさん出ていましたが、いわゆる「ヒロインの定型」にはまるのは、一人もいなかったもんなあ。


そう、「真田丸」は、人間を型枠にはめ込むようなことは絶対にしませんでした。
だから、役者さんたちの演技も本当に生き生きしていたし、
そこから伝わってくるエネルギーが、私たちに教えてくれていたと思います。

歴史は、過去の事実ではなく、人間たちが生きた証なのだ、と。

2016/12/19

真田丸「最終回」

最後に源次郎が浮かべたのは、微笑み。
生きて生きて、うまくいかないことも、絶望も、深い悲しみも、たくさん味わって、
そうして最後にあの微笑み。
まいったなあ。

泣いたんですけど、泣けたんですけど、
悲しいというよりは、いっそ清々しいというか。
これ、どっかで経験したなあと思ったら、「犬伏」の時でした。


さて、いくつか印象に残ったポイントを。

<思わず叫びそうになったところ①>

「秀忠アア~! めっちゃいい笑顔で助けに現れるんじゃねえ~!」

ここぞというところで、やってくれましたね、2代目。
今までさんざん煮え湯を飲まされた相手に。
しかも、父を救うという最高のシチュエーション。
秀忠も成長しました。
でもでも、あんたが来なければ・・・。

<思わず叫びそうになったところ②>

「修理イイ~! それ持っていくって言ったの、おまえだから~!」

最後の最後でやってくれましたね、修理。
今までにないほといい人に描かれていたのは、このためだったのか。
なんかね、悪気がないのはわかるのですが、
もう、この期に及んでこれかよっていう・・・。

<泣かずにいられようか①>
この最終回に、大活躍の内記どの。
信繁に「日の本一の兵」をいう言葉を届け、
どう生き方が大事だと伝え。
大助を守り、奮戦し、斬り死に・・・。
その懐には、大殿の位牌が・・・。
あの世で、大殿と碁でも打ってくだされ。

<泣かずにいられようか②>
戦場で倒れた・・・と思ったら、いきなり城内に現れた作兵衛。
強いぞ、作兵衛(ってか、人間離れしてる?)
そして、自らが作った畑の上で・・・。
彼の魂は、信濃の土に還ったのでしょうか。

<泣かずにいられようか③>
戦場で相まみえることになった源次郎と三十郎。
もう、三さまの涙に、こちらも・・・。
本当は、誰よりも源次郎の側にいて、一緒に戦いたかったよね・・・。


そして、個人的に一番ツボだったのは、家康の逃げ回る姿でした。
伊賀越えアゲイン!!
つくづく思うのは、家康もヒーローではなく、人間なのだということ。
だから、憎めないのです。
信繁と家康が対峙する場面は、互いに感傷的になることなく、
それまでの人生を背負った人間として、向かい合っていて、
最高の名場面だと思いました。


ほかにもいろいろあるのですが、書ききれないので、とりあえずいったんやめます。
近いうちに、全体を通してのまとめなど書きたいとは思ってますが(書けるかな?)
とにかく、まだ魂がふわふわさまよってまして、まともなことを書ける状態ではないのです。

ただ、とってもすばらしいドラマに出会えたなと思っています。
感謝です。


きっと、あの世に行った源次郎を、パッパが迎えてくれて、
「源次郎、ようやった」「よき息子をもった」
って言ってくれてると思うんだ。
ほっぺぺちぺちしながらね・・・(号泣)

«真田丸「前夜」

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