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2011年4月

2011/04/10

初めてわかったこと

【その1】
オイルショックの時の映像としてよく流される、
トイレットペーパーを買う人たちの行列。

なくなると困るのはわかるけど、なんでそこまで・・・と思っていた。

今回の震災で、私も全く同じことをした。
最初は、停電でも食べられるものを買いに、コンビニに走った。
店の中は大混雑。
真っ暗な店内で、店員さんたちが電卓で計算をしていた。

停電復旧の目途がたたないと聞いて、食料を買い込みに行った。
スーパーにもたくさんの人。
みるみるうちに、棚が空になっていく。
ティッシュもトイレットペーパーも買い置きがあったけれど、
人が買っていくのを見ると、不安になって買ってしまった。

そして、ガソリン。
田舎では車がないと仕事に行けない。
自転車で通える距離でもない。
たぶん、なんとかもつのではないか・・・と思いつつ、
もし供給されなかったら困ると、行列に並んだ。

買いだめ・買占め・・・愚かだと嗤っていた過去の自分に嗤われている気がした。
悲しいかな、ものがじゅうぶんにあると思うと、安心できた。
そういう自分の心根の貧しさが、情けなくて、凹んだ。


【その2】
終戦後まもなく、青空教室等、学校が再開されたという。

そんな非常時に勉強なんて・・・と思っていた。

これだけの震災にあい、避難所生活を余儀なくされながら、
子どもたちは学校に行きたい、という。
勉強したい、と。
(おそらく、震災前は「勉強したい」と思う子は多くはなかったはず)
内陸から派遣された教員や、地域のボランティアが自習教室を開いている。

うまく言えないけれど・・・。
学ぶことって大切なことなのだ。
子どもたちにとって、勉強すること、学校に行くことって、大切な仕事なのだ。
戦後の焼け野原で教壇に立った先生たちの気持ちが、
ちょっとだけわかったような気がした。

恩師からのメールにこうあった。
「学校は生徒がいて学校なんだな、と最近痛切に思います。
 そして、生徒は私たちを待っています。
 また、希望を忘れなければ、どんなところにも学ぶものがあります。
 今しかできない教育があると思います。」


自分自身が経験しなければ、わからなかったいろいろなこと。
この1カ月、失ったものはあまりに大きいけれど、
得たものも確実にあるのだと思いたい。

2011/04/09

言の葉にのせて

もうじき、震災から1カ月がたちます。

「復興」という言葉が目立ち始めた矢先、一昨日夜の大きな余震。
少し上向いていた気持ちが、また沈むのがわかりました。
停電して真っ暗な中、どうか津波は来ないで、原発がこれ以上損傷しないで・・・と、祈ることしかできませんでした。

それでも、明日はやってきます。


この1カ月、いろんなことを考えました。
自分が生きている意味や、世の中のあり方まで。
それを言葉にしようとしても、うまくまとまりません。
また、私の不用意な言葉が、立場の違う人の心を傷つけてしまうことが怖くもあります。
幸い、私や家族は深刻な被害を受けませんでした。
同じ岩手県にいるのに、こんなに恵まれた生活をしていていいのか、罪悪感を覚えます。
そんな私が、被災した方々の心情に踏み込むのはルール違反ではないか。
いろいろな出来事について批判的なコメントをするのは僭越ではないか。
そう思ってもいます。

今もまだ、いろんな思いが渦巻いていて、それが言葉になりません。

震災から、朝日新聞の「天声人語」をスクラップしています。
とうてい言葉にできない思いを、必死に言葉にしている新聞記者のプロ意識に胸を打たれたからです。
言葉は発信したとたんに、自分の手を離れてしまいます。
読み手がどう受け取るか・・・どれだけ誠意をこめても、伝わらないこともあります。
「おまえに何がわかる」と言われることだって、当然あるでしょう。
それでも、何かを感じ、考え、渾身の力で言葉を選び、それを紡ぎ、伝えようとする人が、いる。
その姿勢に勇気づけられた人間が、ここにいるのも事実です。


来週から、学校も本格的に授業が始まります。
私もまた、言葉でもって、若い世代と向き合わねばなりません。
思いを、考えを、しっかりと言の葉にのせて伝えあえるように。
これからが、正念場です。

2011/04/03

新年度

大地震の日は、卒業式でした。
式は午前中で終わり、午後からは生徒・保護者・職員そろってのお祝い。
その最中、あの地震がきました。
おびえる生徒たちを外に避難させ、寒さと余震に震えました。

それから約10日後、閉校式がありました。
ガソリンもなく、生徒たちは5キロ以上歩いて、閉校式の練習に来てくれました。
本来なら、午後は参加者全員での宴会になるはずでしたが、
お酒をなくして、料理もぐんと減らして、浮いたお金を被災地に寄付しました。

それから、学校を片付けて、4月1日。
新しい勤務先に赴任しました。
沿岸部は4月20日以降、県南部は11日以降のスタートらしいですが、
こちらは、平常通りに新年度がスタートします。

これから、何がどうなっていくのか、全くわかりません。
今も被災地に支援に入っている先生方もいます。
この先、内陸に一時的に転居してくる生徒もいるでしょう。
とにかく、それぞれが、与えられた場で、できることをしっかりやること。
それが、これからの県を、東北を、この国を支えるもとになると信じて。

被災地の人たちのつらさがわかるとは言えませんが。
私は、私なりに一緒に頑張っているつもりです。
さあ、明日から本格的にスタートです!

2011/04/02

3週間~「がんばって」より「がんばろうね」

あっという間に時間がすぎていきます。

ずっと安否不明だった人たちの消息がやっとわかり。
かと思うと、悲しい訃報が届き。

以前お世話になった方の一人と、ようやく連絡がつき。
「なんもなくなっちゃったよぉ。町も、海もねぇ」
真っ青な海を思いだしたら、何も言えなくなってしまって。
何もできなくてごめんなさいと言う私に、
「なんも。こうやって気にかけてくれるだけで、嬉しいの。
 声を聞いただけでね、元気が出たよぉ」


復興という言葉を、たくさん聞くようになりました。
でも、まだ、生きるだけで精いっぱいの人たちもいます。
普通の生活を送れている私でさえ、
この先、どうなっていくのだろうと不安になることがあります。

ただ、今回のことを他人事と思わず、自分に何かできないかと考え、行動している人たちの多さに励まされます。

おそらく、立ち直るには、相当の時間が必要です。
長期戦になることを覚悟しています。
岩手県だけでも、向こう10年、20年かかるのではないでしょうか。
宮城県や福島県はもっとでしょう。
電力不足も当分続くでしょうし・・・。

阪神大震災の時、被災者にとって「がんばれ」という声がつらいという意見がありました。
こんなにがんばっているのに、もっとがんばれというのか、と。
それを聞いたとき、じゃあなんてエールを送ればいいのだろうとすごく悩んだのですが・・・。
今になって、わかった気がします。
「がんばれ」「がんばって」じゃなくて、「一緒にがんばろう」。
手を貸すよ、一人じゃないよ、みんなで分かち合おう、一緒にがんばるよ・・・。
もちろん、被災した人たちの中には、それすら受け入れられない人もいるでしょうけれど。

痛みを分かち合おうとすることが、どれだけ救いになるのか。
私は、そのことを忘れずにいたいと思っています。


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