2012年5月26日 (土)

浮世女房洒落日記

1868「浮世女房洒落日記」 木内昇   ソニーマガジンズ   ★★★★

古い洋館の屋根裏に置かれた木箱。その中から出てきたのは、江戸時代の日記の現代語訳。その著者お葛は神田にある小間物屋の女房で、二人の子をもつ母。二十七歳のお葛の日常とは・・・。

以前お薦めされていた一冊、ようやく読みました。いやあ、おもしろかったです。

お葛の日常は、ごくごく普通の江戸の女房そのもの。生粋の江戸っ子を夫にもち、小間物屋を切り回す日々。生活はカツカツだけれど、それはいずこも同じ。火消目当てに火事見物にはせ参じたり、隣の扇子屋の娘おさえの恋路にやきもきしたり。ご近所とのつきあいや、花見、花火見物、芝居見物、神田祭の大イベント。子供の成長に一喜一憂し、亭主との喧嘩では何が何でもやりこめないと気が済まず・・・。

ものすごく共感できるお葛の心情。それに、江戸時代ならではの風習が描写されていて、「時代が変わっても、人の感じ方は大きく変化するわけではない」ということを、強く感じます。

お葛は「笑い」に対してこだわりがあり、何度か記述があるのですが、そこがとても印象的でした。あきらめて、なげやりな笑いではなく、生きていくために大切な笑い。実際、お葛と亭主とのやりとりなんか、こちらも笑ってしまうのですが(本人たちは大真面目)。

この日記は、ある一年の元日から大晦日まで。とんでもない出来事は起こらないけれど、お葛にとってはそれなりに大きな出来事があったり、ささいなことどもは絶えず起こり・・・。世の中の動きなんて全く無関係、日々の暮らし、自分の目の届く世界が全てのお葛ですが、毎日の生活というのはそういうものかもしれません。

2012年5月25日 (金)

「一九〇五年」の彼ら

1867「一九〇五年」の彼ら   関川夏央   NHK出版新書   ★★★★

サブタイトルは『「現代」の発端を生きた十二人の文学者」。

森鷗外、津田梅子、幸田露伴、夏目漱石、島崎藤村、国木田独歩、高村光太郎、与謝野晶子、永井荷風、野上弥生子、平塚らいてう(明子)、石川啄木。彼ら12人を「現代人の原型」としてとらえ、近代から現代への変遷をたどった一冊。

なぜ1905年なのか。それは、日露戦争に勝利した年であり、日本の国民国家としてのピークだから。それ以降、日本社会は大衆化し、明らかに変容していく・・・。

期待を上回るおもしろさでした。文学者それぞれの人生もさることながら、彼らの人生を追う過程で浮かび上がってくる「人間の変わらなさ」。そして、彼らの生き方に「時代」がどう反映されているか。

著者が原作の漫画『「坊っちゃん」の時代』には、一時期どっぷりはまりました。だから、この本も余計におもしろく読めたのかもしれません。強烈な自我ゆえに文学者となるしかなかった12人の生き方は、当人の意志とは無関係に、時代を反映しています。

また、「坂の上の雲」の記憶が鮮明なうちに読んだのも正解でした。1905年が頂点だったというのは、わかる気がします。

ちょっと仕事が忙しく、余裕がないのですが、これは読み始めたらやめられなくなって、朝20分ほど早起きして読み進めました。万人が興味をもつかと言われたら首をかしげますが、私はとってもおもしろく読みました。

2012年5月22日 (火)

【新訳】方丈記

1866「方丈記」 鴨長明  佐方郁子・編訳   PHP【新訳】新書   ★★★★

震災後に、「災害文学」として脚光を浴び、さまざまな本が出版されている「方丈記」。職業柄、概略は知っているものの、ちゃんと読んだことはなかったなあ、と思い、手に取りました。しかも、大河ドラマ「平清盛」の時代ともかぶっているこの随筆。これは読まねば!と思っていたら、夫も同じことを考えていたらしく(笑) 夫は、原文で読んでいましたが、私にはそこまでの根性はないので、手ごろな訳文つきのものを探していたら、この本にめぐりあいました。

口語訳と原文、さらに解説がついていて、非常に内容を把握しやすくなっています。原文の優れた点も指摘されているので、原文にも目を通したくなります。さらに、「鴨長明の生涯」「災害文学と無常観」という評論と、略年譜もついていて、わかりやすくまとめられていたのがありがたかったです。

「方丈記」は原稿用紙にして20枚程度。前半は、当時の都を襲った五つの「不思議」の記録。大火、辻風、福原遷都、大飢饉、大地震・・・いずれも、鴨長明自身が現地に足を運び、実見したのではないかと推測されるそうです。

後半は一転して、出家し、隠棲した鴨長明が、隠者の生活を謳歌しているさまが描かれます。しかし、そこに至る人生をたどってみると、いったいどんな思いで「方丈記」を書きつづったのか・・・という思いにとらわれます。

天災も相次ぎ、政情不安な日々を過ごすちっぽけな人間の姿は、今の私たちと重なります。どれだけ時代が変わっても、人の営みというのは変わらないものなのだと・・・つくづく感じました。

目からウロコだったのは、長明は、歌人としてだけでなく、管弦の道でも名を成した人物で、それゆえ文章にリズム感があるという指摘。納得、でした。

2012年5月21日 (月)

吉祥寺の朝日奈くん

1865「吉祥寺の朝日奈くん」 中田永一   祥伝社   ★★★★

吉祥寺の喫茶店で、カップルの派手なケンカに巻き込まれたのがきっかけで、店員の女性・山田真野と会話するようになった。けれど、彼女は人妻で、幼い子供もいる。それでも、たまに二人で散歩をするのが心地よくて・・・。

「交換日記はじめました!」「ラクガキをめぐる冒険」「三角形はこわさないでおく」「うるさいおなか」「吉祥寺の朝日奈くん」の5編を収録した、恋愛小説集。

冒頭の「交換日記~」でやられました。今はもう、交換日記なんてないでしょうね。つきあいはじめのカップルの他愛ないやりとり・・・と思っていたら、第三者たちが次々介入してきて、話は思わぬ展開を。時間が経過して初めて明かされる真実と、ノートが紡いでいく不思議な縁。いやあ、おもしろかったです。

「ラクガキ~」も、高校時代のある事件に関わった二人のほのかな思いと、意外な真実がなかなか素敵な恋愛ものに仕上がっています。「三角形~」は、そのまま三角関係もの。ベタな設定なのに、なんでこんなに嫌味なくピュアな話になるかなあ。ただ、最後の彼女の一言は余計な気がします。「うるさい~」は、「蹴りたい背中」を意識したタイトルでしょうか。一つ間違うとギャグなんですが、母親のエピソードと父親の存在がさりげなく物語を支えています。

そして、一番のお気に入りは「吉祥寺の朝日奈くん」。うわあ、やられた、と(苦笑) そういうことでしたか。途中でちょっと、「ん?」と思ったのですけどね。だからこそ、真野の気持ちにすんなり共感できたし、同時に朝日奈くんがどうしてああいう行動をとったのかも、納得できました。ラストシーン、とっても好きです。二人がギュッと抱き合うところ、こちらまで泣きそうになってしまいました。

人と人との出会いは、本当に奇跡。これだけたくさんの人がいて、それなのに自分だけの「たった一人」を見つけてしまう、奇跡。その不思議さと感動を、中田永一はずっと追い続けているのかもしれません。(それがはっきり描かれたのは、「暗いところで待ち合わせ」だったかも。)

恋愛モノって苦手なのであんまり読まないのですが・・・これはとっても素敵な一冊でした。

2012年5月20日 (日)

極北ラプソディ

1864「極北ラプソディ」 海堂尊   朝日新聞出版   ★★★★

財政破たんした極北市。赤字経営の極北市民病院再建のために招へいされた世良院長は、救急患者の受け入れを拒否し、人件費の徹底した削減を実施。医師は、世良と、破たん前から勤務していた外科医の今中の二人だけになった。現在の医療の在り方に切り込もうとする世良は、徐々にメディアから敵視されるようになり、今中もまた、世良の主張に納得しきれないものを感じる。そんな矢先、市民病院の診療拒否問題がメディアで取りざたされる。同時に、今中は雪見市の救急センターにレンタル移籍を命じられる。そこには東城大から来た「将軍」速水が君臨していた。

「極北クレイマー」の続編。北海道を舞台にしたこのシリーズ。今回は、財政破たんした市の病院経営と、ドクターヘリを駆使した医療行為が大きなカギを握ります。

まず、世良。東城大佐伯外科出身の彼は、いつのまにか病院再建請負人のようになっています。外科医としてよりも、病院経営と医療体制を根底から覆すような画期的な手法を用いる人物として有名になっているよう。それは、決して好意的に評価されていない・・・と、世良自身が感じています。実際、極北市民病院でも、世良は行政もメディアも敵に回し、あげくに診療代未払いの患者の診療を拒否し、結果、患者が死んだと責められてしまいます。

一方、速水。「ジェネラル・ルージュ」として名を馳せた救命救急の申し子は、東城大から北の大地に左遷され、念願のドクターヘリを手に入れます。しかし、彼自身はヘリに乗ったのはたった一度だけ。救急センターをひっかきまわしている・・・と言われながらも、やはり「将軍」は健在です。さらに、このセンターには、優秀なパイロットの大月や、ヘリの飛行をコントロールするCSの越川といった医療サイドではない人間も深くかかわっていて、彼らの存在が医療を「外」から観る目になっています。

まるで対極にいるような世良と速水。この二人は、対極にいながら、互いに補完し合う関係だということを自覚しています。そして、二人の因縁は、あの花房看護師。ジェネラルの右腕である「ハヤブサ」は、実はかつて世良と恋仲だった・・・というのは、「ブレイズメス1990」でちらっと出てくるのですが、今回は予想外の展開をします。正直、速水ファンの私としては、ちょっと悔しいような展開なのですが。

「クレイマー」もそうでしたが、いろんな問題がつめこまれていて、頭の中が整理しきれていないのですが、「クレイマー」よりは楽しめました。ただ、このシリーズ全体の構想が把握しきれていないので、ちょっと混乱しています。彦根、ここでも登場してきましたね。名前だけだけど。

気になるのは、逮捕された産科医の三枝先生はどうなってしまうのか・・・ということ。まだまだいろんな人が絡んできそうで、気が抜けないシリーズです。

2012年5月13日 (日)

炎路を行く者

1863「炎路を行く者」 上橋菜穂子   偕成社   ★★★★★

ヨゴ皇国の<帝の盾>の家に生まれ、いずれは一流の武人になることを疑わずに育ったヒュウゴ。しかし、国は滅ぼされ、まっすぐに伸びていたはずの生きる道は、一瞬にして閉ざされてしまう。不思議なものが見える娘・リュアンに助けられたヒュウゴは、下町で暮らし始めるが・・・。

「守り人」シリーズの番外編が出る・・・と聞いて、手に取るのを楽しみにしていました!いい歳をした大人が、児童書・YAコーナーから本を持ち出すのはちょっと気が引けるのですが(苦笑)

今回は、「幻の作品」となっていた(このいきさつは、作者があとがきで説明しています)、タルシュの鷹・ヒュウゴの少年時代を描いた中編「炎路を行く者」と、バルサの少女時代を描いた短編「十五の我には」の2作品で構成されています。

まず、「炎路~」。「蒼路の旅人」でチャグムをさらった、タルシュのヒュウゴ。ヨゴ皇国の由緒正しい出自の彼が、なぜ祖国を滅ぼした敵に仕えることになったのか・・・。少年時代のヒュウゴが、絶望の淵から生きる道を見出すまでの物語です。家族を殺され、生きる目的を見失い、ケンカに明け暮れるヒュウゴ。そのすさんだ心が、自分の生きる意味を見出して、再び輝きはじめるまで。

この物語の原型を書いたことで、「蒼路~」から「天と地の守り人」に至る流れができた、とのこと。なるほど。「守り人」シリーズが行き着く世界を、ヒュウゴの葛藤が象徴しているように見えます。何のために戦うのか。道をひらいていくのは、誰なのか。ヒュウゴが選んだ道は、<帝の盾>として生きるより、ある意味過酷だったかもしれませんが・・・。

そして、バルサが主人公の「十五の我には」。ジグロと二人で用心棒稼業をしていた頃の、バルサのしくじりの話です。大人になったからわかる・・・というのは、たしかにあるものです。今だったら、あの時の自分に教えてやれるのに・・・と。バルサのそんなエピソードは、なんだか微笑ましくて、同時にウルウルきてしまいました。

バルサはジグロに育てられたようなものですが、考えてみれば、チャグムもバルサに育てられたようなものですね。そして、全く関係のないヒュウゴもまた、彼の命を救ってくれたリュアンを姉と慕っていた・・・。「守り人」シリーズは、血のつながりではなく、魂のつながりの話でもあったのだなあ、と、今更ながら気づきました。

ともかく、久々の「守り人」の世界、堪能いたしました。ヒュウゴの「その後」も読みたいなあ。

2012年5月12日 (土)

三匹のおっさんふたたび

1862「三匹のおっさんふたたび」 有川浩   文藝春秋   ★★★★

キヨ、シゲ、ノリ・・・還暦をすぎた幼なじみの三人は、ご町内の私設自警団。腕に覚えのあるキヨとシゲ。頭脳派のノリ。絶妙のバランスの「ご近所限定・正義の味方」は、次々に小さな事件に遭遇するが・・・。

続編、出ましたね~。ちょっとビックリ。でも、速攻で読みました。勧善懲悪ではなく、ちょっぴりほろ苦い「解決」だったりするのは前回と同じですが・・・今回は、キヨたちと、孫の祐希世代との間、「親世代」にスポットが当たります。

前作で、お嬢様育ちでマルチ商法にひっかかってひと騒動起こした、祐希の母・貴子。彼女が生まれて初めて外で働く話。また、シゲの息子で「酔いどれ鯨」の現店主・康生が、地元の祭りを再興させようと奔走する話。なんか、しみじみとよかったです。

ノリの娘・早苗が、父親の再婚話に動揺する話では、祐希とのラブラブぶりが楽しかったですし、書店の万引き犯を三匹がやっつける話や、キヨの妻・芳江の高校時代の先輩の話など、それぞれに趣向がこらしてあって、楽しめました。

ただ、第四話はちょっと痛かったです。「いまどきの若いものは」とよく言うけれど、まともな若者もいれば、おかしな大人もたくさんいる。それって、リアルに納得できるだけに、なんとも言えない気持ちになりました。

2012年5月 7日 (月)

こんなに変わった歴史教科書

1861「こんなに変わった歴史教科書」 山本博文ほか   新潮文庫   ★★

お札のあの人物像は聖徳太子ではなかった? 鎌倉幕府が開かれたのは1192年ではなかった? 中学校の歴史教科書は、この30年で大きく変化している。新旧二つの歴史教科書を比較し、歴史研究の成果を明らかにする。

単行本が刊行されたのが平成20年。その当時は、平成18年版の教科書が最新だったわけですが・・・もはや「それ、知ってる~」と言いたくなる話が多くありました。そういう意味では、ちょっと期待外れでした。

単なる豆知識本ではなく、史学研究の成果を検証するというねらいがあるようなので、「なぜ記述が変わっていったのか」という点を追求しています。それはそれでおもしろいのですが・・・むしろ、私みたいな素人には、素人の観点からの「え、これっていつのまにこうなってたの?」という、新鮮な感動がほしかったかな、と。

しかし、歴史がこんなに「変化」していくというのは・・・なんとも驚きです。中学校では今年度からさらに新しい教科書が使用されているので、ちょっと読んでみようかな。

2012年5月 4日 (金)

くちびるに歌を

1860「くちびるに歌を」 中田永一   小学館   ★★★★★

長崎・五島列島の小さな中学校。女子ばかりだった合唱部に、突如男子が入部してきた。原因は・・・産休代理で来た柏木先生。先生にあこがれてという不純な動機で集まった男子と、純粋に歌が好きな女子部員は、不協和音を奏でながら、Nコンの県予選をめざすことに・・・。

田舎の中学校、合唱・・・という設定が、私にとってはリアルすぎて(苦笑)、読む気になれなかったのですが、「中田永一」があの人の別名義だと知って、慌てて図書館に走りました。(今さらでお恥ずかしい限り)

ええっと・・・泣きました。

ほんと、ベタだと思うのですが。男子と女子のあつれき。いくつかの恋・・・思いが届きそうなものもあり、一方通行のままもあり。産休に入った先生が、出産に命の危険を伴うことなどなど。これだけなら、あまりにもありがちな学園ものなのですが。

教室の片隅で、いつもひとりぼっちで、それを苦痛だとも思わない桑原サトル。彼は、美少女の長谷川コトミに恋していて(彼女の正体を知ってしまったから)、ふらふらと合唱部に入ってしまうのです。サトルは人とのコミュニケーションが苦手。そんな彼を絶対的に必要としているのは、自閉症の兄なのですが・・・。

この年の課題曲は「拝啓~十五の君へ」。それになぞらえて、合唱部員たちが書いた「15年後の自分への手紙」が、登場します。その中で、一番せつなかったのが、サトルの手紙でした。自分の人生を、そんなふうに規定していたのか、自分の存在をそんなふうに受け止めていたのか、と。サトルの人生はサトルのものだし、兄は兄でこの世に存在する意味がある。サトルの同級生・ナズナの心を救ったのが、サトルの兄だったように。

エピローグの会館外での自然発生的な大合唱。どうしてなんでしょうね。これはフィクションなのに、実際にこういうことって起こりうるなあ、と。歌の力、でしょうか。なんかもう、だめでしたね(苦笑) 涙が止まりませんでした。

どうして、中田永一という人は、人の心の琴線をこうも揺さぶってくれるのでしょう。かつて、別名義で発表した物語にも、かなりやられたなあ・・・と思い出しました。人の心の孤独。さびしさ。せつなさ。・・・そうであればこそ、人を求め、人とつながりたいと強く思うこと。

再び、そういう物語を世に出してくれたことに感謝、です。

余談ですが、この課題曲、当時はあまり好きじゃなかったのです。でも、あらためて歌詞を読んでみると、考えさせられるものがありますね。

2012年5月 1日 (火)

ツリーハウス

1859「ツリーハウス」 角田光代   文藝春秋   ★★★★★

新宿にある古い中華料理屋・翡翠飯店。店主の藤代泰造が亡くなったのをきっかけに、孫の良嗣は、藤代家のありかたに疑問を感じ始める。祖父の戸籍には、父・慎之輔とその弟妹・太二郎、今日子のほかに、聞いたことのない名前があった。そして、祖父母は満州で暮らしていたのだという。やがて、祖母・ヤエとともに、良嗣は旧満州を訪れるのだが・・・。

食べ物屋をやっているから・・・というだけでなく、なんとなく「変わった」家であるらしい、藤代家。一家がそろって食卓を囲むことなどほとんどない。見知らぬ他人がしょっちゅう泊り込んでいる。すぐにいなくなる人もいれば、長く居つく人もいる。そんな人たちは、泰造とその妻・ヤエが「満州でお世話になった」のだという。いったいどれだけの人に世話になったんだ?と、息子の慎之輔は思ってしまう。

たしかに、奇妙な家ではあるのです。まず、泰造とヤエが「愛し合って結ばれた」という空気が全くない。満州でも決していい暮らしをしていたわけでなく、引き揚げてきてからも、パッとしない生活。それでも、戦後のドサクサにまぎれて所有者不明の土地に店を出し、満州で亡くした子供たちのほかに四人の子に恵まれます。

しかし、慎之輔は漫画家になりたいと、いつまでもフラフラ。優秀な太二郎は、教師になったものの、教え子との恋愛騒動で辞職。娘の今日子は、見るからにうさんくさい男と結婚し、末っ子の基三郎はその聡明さゆえに、自らを追いこんでしまう。さらに、慎之輔の三人の子供たちも、身の振り方が決まらず・・・。絵に描いたような理想の家庭にはほど遠い藤代家。

それでも、読みながら思ってしまったのです。理想の家庭、あるいは普通の家庭とはいったいなんだろうか、と。どんな家にもおそらく他人には語りたくないことがあり、家族同士でも語れないことがあり。それぞれが、不恰好でも、不満足でも、どうにかこうにかやっている・・・それが、家族なんじゃないのか、と。

好き勝手バラバラに暮らしているような藤代家。でも、父母から子供たちへ、さらにその子供たちへと、時代は違っても、同じようなことを繰り返して生きていきます。かつての自分と同じようなことをしている息子たちを苦々しく見つめる父がいたり。家族って、そんなものかもしれない、という気がします。

現在と過去とを無造作に行ったり来たりする構成でしたが、意外なほどに違和感なく読めました。特に、「逃げてもいい」という泰造とヤエの生き方が子供たちを救ったこと、しかし、それが孫世代になると「逃げること」の価値が変わってしまっていることは、なんだか身に染みました。

読みながら、何度も涙ぐみました。★5つは甘いかもしれません。一つの家族が、ここまで戦後の大事件に関わるか?という気もしますし・・・。でも、私にとって「家族」というのは、いまだに自分の中で答えの出ない重いテーマの一つで。でも、「それでもいいんだ」と、言ってもらえたような気がしたのです。

それにしても、「これ、角田さんだよね?」と何度も確認しながら読みました。こういうの、書くようになったんですねえ。

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