3320「清浄島」 河﨑秋子 双葉社 ★★★★
北海道礼文島。この小さな島の出身者から相次いで「エキノコックス症」が発見された。その調査のために派遣された動物学者・土橋義明は、村の役人・山田や村議会議員・大久保の協力を得て奮闘する。しかし、流行拡大を防ぐため、どうしても取らざるを得ない手段があり、土橋らの心を重く沈ませていた。寄生虫による感染症との闘いに勝てる日は来るのか。
読むのにちょっと勇気が要りました。エキノコックスについては詳しい知識はありませんが、感染症との闘いというのは、生やさしいものではないことはわかりますから。きっと主人公がつらい目に遭うのだろうな。河﨑さんの筆では、その辺のつらさも容赦なく書くんだろうな。正月早々、そんな話を読むのもなあ、と(苦笑)
それでも、読んでよかったです。土橋たちの苦悩はやはり堪えましたが、山田や大久保、長谷川医師など島の人間で協力してくれる人たちもいて(彼らには彼らなりの理由があるのですが)、その存在にこちらも救われました。また、土橋が煙たがっていた上司・小山内の存在も大きく、土橋が「独りで」苦しむ必要がなかったのが救いでした。
多大な犠牲を払って、礼文島ではエキノコックスの封じ込めに成功したわけですが、今度は根室でエキノコックス症が見つかります。土橋は礼文島での経験を生かし、衛生研究所の責任者として対策に奔走します。この終盤が実に心に響きました。あれほど苦労したのに、またほかの地方での発症事例。しかも、かつての島と違い、封じ込めは非常に困難であるという現実。一方、現地に派遣した沢渡と土橋の関係は、かつての土橋と小山内の関係を想起させ、土橋が人として何を学んできたかを浮かび上がらせます。
土橋は聖人君子ではありませんが、非常に真摯な人です。感染症と闘うために必要なことでも、それによって傷ついた人たちがいたことを忘れずにいようとする。データの数字ではなく、そこにいたのが命あるものだっということを受け止めようとする。「仕方がなかった」で済ませてしまってはいけないのだと。そうすることで自分が生涯抱えていかねばならない重みから逃げようとしない。・・・もちろん、島でたくさんの経験を積んで、時には失敗もして、少しずつそういうことを学んできたわけです。ただ、そういう研究者としての、人としての有り様に、救われす思いでした。
感染症との闘いは、人類史上延々と繰り返されていて、今もまさにその渦中なわけです。私は、終章での土橋の言葉に、思わず涙しました。
「悲しみ、怒り続けることです。国民でも役人でも研究者でも。感染してもしょうがない、と粛々と生を終える人は、そりゃあ仙人みたいで格好いいかもしれませんが、そういう人の存在は他人にも有形無形に同じ生き方と死に方を強いることになる。そんなこと許されちゃいけない。」
悲しみ続けること、怒り続けることは、難しいです。それは膨大なエネルギーを必要とするからです。それでも、私たちは安易に「格好いい」生き方に流されてはいけないのでしょう。生きることは、格好いいことではないのだから。
「清浄島」という言葉に込められた切なる思いが、今の私たちには理解できるはずです。
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