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2010年3月27日 (土)

病牀六尺

1452「病牀六尺」正岡子規   岩波文庫   ★★★★

「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広すぎるのである」・・・病の床にあって、俳句について、画について、その他世間一般の見聞や、その目にうつるあらゆることを書きつづった正岡子規の随想集。

今まで、正岡子規には通り一遍の知識しかなかったのですが、「坂の上の雲」を見て(読んで)、俄然興味がわいてきました。何より、司馬遼太郎が正岡子規に入れ込んでいて、彼の生き方を全肯定しているので(笑) でも、実際、病と闘って文学を極めた・・・という悲惨さよりも、なんだか妙な明るさがある、不思議な人なのです。

「病牀六尺」は、子規の亡くなる2日前まで書かれたもので、新聞「日本」に連載されたもの。とうてい「六尺」の世界に収まっているとは思えぬほど、子規の想念は多岐に渡っています。俳論・画論はまだともかく、どうでもいいような日常の瑣末なことや風聞まで。気が向いたことはなんでも書く。子規がこだわった「写生」とは何ぞやということもあれば、自分の看病を思うようにしてくれない家族に苛立ち、「婦女子に教育は必要である」とむきになって論じているのもおかしい。もらいものに一喜一憂したり、ある「お嬢さん」に一目ぼれして、なんとか手に入れようとしたり(このくだりは笑ってしまった)。死病にとりつかれて、苦しんでいるはずなのに、それに関する記述はほんの一部。すべてが明るく、すっきりした文章なのです。尊敬を通り越して、呆れてしまいました。

子規にとって、こうして「書く」ことが、そのまま「生きる」ことだったのでしょう。そして、残された時間が短いとわかっていたからこそ、その時間で、自分の命を燃焼しつくすことだけを考え、余計なことは一切排除したのでしょう。

この内容をどれだけ理解できたか・・・と言われると、あまりわかってないというのが正直なところですが。子規という人物に、もっと興味が出てきました。

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コメント

まゆさんコメントありがとうございました。
いきなり「漫録」の方に手を出してしまって、他のエッセイは未読なのです。
ですが、面白そうですね!お嬢さんに一目ぼれのくだりで俄然興味がわいてきました(笑)
体を起こすこともままならないような末期の状態なのに、非常に淡々と書きますよね。
ずっと寝たきりの体が行うのは、食べて書いてってまさにそれだけの生活で、そこは理解の及ばない領域なのかとも改めて思いました。

麻さん、これ、けっこうおすすめですよ。
淡々と・・・そうですね。
非常に客観的だし、変な悲壮感がないのです。
子規でなきゃできないことだとは思うのですが、
どうすればこんな境地に到達するのかと思ってしまいます。
「漫録」は、食べ物のことも克明に書いてあったりしますね。
すごい食欲にびっくりしました。

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