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2011年5月 2日 (月)

我、言挙げす 髪結い伊三次捕物余話

1691「我、言挙げす 髪結い伊三次捕物余話」 宇江佐真理   文春文庫   ★★★★

見習い同心・不破龍之進の同輩が祝言をあげることになった。その許嫁の父は元定廻り同心で、上役の不正をただし、今は閑職にまわされていた。ある事件がもとで、その人物に接した龍之進は、己の生きる指針を一つ見つけたような気がした。それからまもなく、江戸では火事が起こり・・・。

まさか、この時期に、こういう展開になるとは・・・。

髪結い伊三次捕物余話シリーズ第8作。髪結い伊三次と芸者お文の生活は、裕福ではないものの安定し、一人息子の伊与太もすくすくと育っています。

お文が、「もしも、違う人生を選んでいたら・・・」と思い、不思議な体験をする「明烏」は、なんだか身につまされました。誰でも、人生の分かれ道はあるもので、もしあの時・・・と、ふとした拍子に思わない人はいないのではないでしょうか。お文は、もう一つの人生を体験しながら、やっぱり伊三次のところに戻ってきました。ここが自分の帰る場所だ、と。お文らしい生きざまが最高です。

それから、かつてお文の身の回りの世話をしていたおみつの話「雨後の月」。惚れあって一緒になっても、いいことばかりとは限らない。長く連れ添ううちには、一度や二度の危機はある・・・。それを乗り越えられるかどうか。そんな話が、しみじみと身に染む今日この頃(別に、うちは今のとこ危機に陥ってはいないですが。たぶん)。

そして、表題作「我、言挙げす」。龍之進が主役のこの話は、もっと勇ましい捕物でもあるのかと思っていました。ところが、意外な結末。伊三次の家が、火事で焼けてしまうのです。茫然とたたずむ伊三次たちに、龍之進は、「言挙げ」する決意で近づきます。言挙げとは、自分の意志をはっきり表明すること。今まで自分を見守ってくれた伊三次に、こんな時だからこそ、励ましの言葉をと思った龍之進は、しかし言葉を失ってしまいます。そんな龍之進に、伊三次は言うのです。

「若旦那、何もおっしゃらなくてもよござんす。皆、焼けちまいやしたが、これだけは残りやした。」

そこにあったのは、髪結い伊三次の商売道具。何もかも失いながら、家族と道具だけは残った伊三次は、もう一度歩き出そうとするのです。

あの震災から、私たちは何度「言挙げ」しようとしたでしょう。しかし、龍之進のように、言葉にならない思いを、何度飲み込んだことでしょう。むしろ、伊三次のように、被災しながらも静かに再起を「言挙げ」する姿に、何度励まされたことでしょう。

今、だから。なおいっそうこの話には心揺さぶられました。思わず、泣いてしまいました。これが書かれたのは震災の何年も前なので、宇江佐さんにはこういう読み方をされるのは想定外だったでしょうし、不本意かもしれません。でも、こんな時だからこそ、「言挙げ」しようとする思いを、しようとしても言葉にならない思いを、私は我が事として受け止めることができました。

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