水曜日の凱歌
2788「水曜日の凱歌」 乃南アサ 新潮社 ★★★★
戦争が終わった。「防波堤」として米兵相手の慰安所で働く決意をした女たち。鈴子の母は得意な英語を生かして慰安所の世話役となるが、鈴子は複雑な思いを抱えていて…。
こういうの、ちょっとなかったなあ…というのが、一番強く感じたことです。
裕福な家庭で何不自由なく育った二宮鈴子。戦争中に父が事故死したのをはじめ、きょうだいたちも次々失い、家も焼かれ、生活力のない母と二人きりになってしまった。亡父の友人・宮下の庇護のもと、どうにか終戦を迎えたその日、鈴子は14歳になった。
我慢を強いられ、いろんなものを失い、ようやく解き放たれたと思ったのもつかの間、鈴子の心はがらんどうのまま。一方、宮下の妾のようになっていた母は、働きはじめてから、驚くほどの変貌を見せる。鈴子はとまどいながら、茫然と母の生きざまを眺めているだけ。彼女に未来は見えていない…。
戦後、価値観がひっくり返り、混乱をきたしたのはよく聞きます。が、その混乱の中で雄々しく立ち上がるのではなく、立ち止まってしまっているヒロインというのが、なかなかないな、と。
鈴子がなぜ立ち止まっているのか。それは、戦中の体験を受け止めきれていないから。そして、激変する世の中の理不尽さに納得できないから。心の中では怒りを感じても、生きるためにはそれを飲み込まなくてはならないという理性は働く鈴子だから、よけいにつらいのでしょう。
鈴子と対照的に、母は敗戦を機に本来の自分を取り戻したかのよう。娘が全く知らなかった母の一面に戸惑うのは珍しくないことですが、そこに「母は慰安所の女たちを犠牲にしてのしあがってきた」という鈴子の罪悪感が絡み…。
鈴子は幼なじみの勝子との再会を経て、ようやく少しだけ先のことに目を向けるようになります。世の中の変化に比べ、鈴子の変化はほんの少し。けれど、きっとこんな子もいたんだろうなと思うのです。そして、鈴子が感じた理不尽への怒りには、すごく共感しました。
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