梯久美子

2018年11月25日 (日)

愛の顛末 恋と死と文学と

2824「愛の顛末 恋と死と文学と」 梯久美子   文春文庫   ★★★★

何も語らずに逝った小林多喜二の恋人。寺田寅彦と三人の妻。梶井基次郎の秘められた恋。作家たちの人生と文学に欠くことのできなかった愛とは。

小林多喜二、近松秋江、三浦綾子、中島敦、原民喜、鈴木しづ子、梶井基次郎、中城ふみ子、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二、吉野せい。以上12人の愛と人生と文学を丁寧に描いたノンフィクション。

タイトルが一昔前の週刊誌の見出しみたいで、ちょっと躊躇しましたが、買って正解でした。決してスキャンダルとして扱うのではなく、当事者たちの人生と作品に、それぞれの愛の形が深く関わっているのがよくわかります。

印象的だったのは、梶井基次郎、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二、吉野せい。特に、76歳でデビューした吉野せいの生き様には、胸を打たれました。彼女にとって、文学が、書くことがどれだけ大切だったのか。夫の死後、山に登ったときの馬とのエピソードには、思わず涙が・・・。

梯さんの書くものが信頼できるのは、対象となっている人に対する敬意がきちんと伝わること。また、作品に対しても。だから、読んでいて気持ちがいいのです。

2018年7月26日 (木)

原民喜 死と愛と孤独の肖像

2774「原民喜 死と愛と孤独の肖像」 梯久美子 岩波新書 ★★★★

自らの被爆体験を元にした「夏の花」の作者・原民喜。46歳で鉄道自殺を図った彼は、どのような人生を送ったのか。


原民喜は原爆を題材にした詩しか読んだことがなくて。なんとなく悲惨な人生を送ったように思い込んでいました。この本も、梯さんが著者でなければ読まなかったでしょう。

評伝は、いきなり原の死から始まります。死を決意して、さりげなく知己に別れを告げ、遺書を用意し、遺品を整理する原の姿が痛ましくて…。ところが、彼の生涯をたどると、また違う姿が見えてきました。

過敏すぎる神経をもち、社会生活にうまく適応できなかった原。愛する父や姉を亡くし、孤独だった魂を救ってくれた妻との出会い。その妻も失い、帰った故郷で被爆。そのときの悲惨な光景を書かねばという使命感で綴った「夏の花」。

原民喜という人は、あまりの純粋さゆえに、生きていくのが本当に大変な人で、妻や友人たちに支えられて、なんとかこの世につなぎ止められていたのかもしれません。最後は、いろいろな軛から解き放たれて、自分のいるべきところへ帰っていったような気がします。精一杯生き、愛し、書き……そうしてたどり着いた人生の終着点だったのだと思えば、最初に感じた「痛ましさ」は消えてなくなりました。

今まで避けてきた「夏の花」、読んでみようと思います。


2018年7月 1日 (日)

好きになった人

2764「好きになった人」 梯久美子   ちくま文庫   ★★★★

ノンフィクション作家の筆者が忘れられない人々の面影。取材を通して。上京してからの生活。そして、家族のこと。

梯久美子さんは、私にとって信頼できるノンフィクションライターの一人です。そんな方のエッセイ集。読まずにはいられません。

やはり圧巻だったのは、第一章「うちの閣下」。『戦争を書く』というテーマのもとに書かれた文章は、梯さんがずっと追いかけてきた戦争に関する取材を通して見聞きしたことが中心になっています。

これを読んでよくわかったのは、梯さんの興味関心は「人」にあるということ。どんな人だったのか。何を思っていたのか。・・・梯さんのスタンスは、私の興味関心のベクトルにとても近いようです。

やはり、「散るぞ悲しき」も読まねばならんかなあという気になってきました。悲惨な戦場ってかなり苦手なので、避けてるんですけど。

2016年12月 1日 (木)

狂うひとー「死の棘」の妻・島尾ミホ

2500「狂うひとー『死の棘』の妻・島尾ミホ」 梯久美子   新潮社   ★★★★★

「そのとき私はけものになりました」・・・島尾俊雄『死の棘』に描かれた壮絶な夫婦の姿。そのモデルであった妻・ミホは、どのような人生を歩んだのか。膨大な未公開資料とインタビューによって、ミホの生涯をたどる評伝。

2500冊という節目に選んだのは、最近話題のこの本。梯久美子さんのノンフィクションは好きなのですが、島尾敏雄は一冊も読んでいないのでどうしようかと思ってました。すると、巻末には「死の棘」のあらすじもついているし、「死の棘」未読でもこの本はいけます!と教えていただいたので、思い切ってチャレンジしました。

600ページという分量もさることながら、文章も頁びっしり書かれていて、手に取った瞬間は「うわあ(汗)」という感じ(苦笑) 

でも、序章と第一章を読んだ時点で、こちらの思い込みは粉々にされ、これは心して読まねば!と気合を入れられました。

二人の出会いは戦時中。特攻隊長として島に赴任してきた敏雄と、その島のいわばお嬢様だったミホ。これだけで、何かしら切羽詰った中でのロマンティシズムを感じてしまうわけですが、そんなものは木っ端微塵にされます。

とにかく、煽るような文句は一つもなく、二人の日記や手紙、草稿などの膨大な資料と、著者がインタビューした記録をもとに、「事実」を淡々と記述していきます。そうして浮かび上がってくるのは、ミホという一人の女性の人生。そして、その夫であった敏雄の人生。二人の間にあった「書く」という行為の意味。

結婚してからの壮絶な日々は、創作ではなく、ほぼ事実であったこと。愛人として登場する「あいつ」とは誰なのか。ミホと敏雄はなぜ「書く」ことに執着したのか。

ミホと敏雄の人生は、きれいごとの愛の記録なんかではなく、幾度も失敗しながら自分を責め、苦しみながら生きる、人間の姿の記録だと言えるのかもしれません。

この本は、ミホという一人の女性の生き様を描き出したものであり、「死の棘」の読み方に、今までなかった軸を与えるものなのかもしれません。少なくとも、ロマンティックな「愛の神話」とはもう読めないでしょう。

著者は、安易な憶測をするのを良しとせず、わからないものはわからないまま、読者に提示されます。その最たるものはラストで・・・いったい、ミホさんは何を考えてそれを持っていたんだろうと思うと、それまで何かしら彼女という人間をつかんだ気がしていたのが、雲散霧消した気分になりました。

夫婦の記録であり、戦後文学史の物語でもあり、女性の精神史でもあり、上質のミステリでもあり・・・そんな一冊です。

私の中には、「言葉を書く」ことに囚われた一組の男女の姿が、印象深く残りました。

2016年1月28日 (木)

世紀のラブレター

2407「世紀のラブレター」 梯久美子   新潮新書   ★★★★

明治から平成まで・・・20世紀に書かれた恋文から見えてくる時代、そして人の思いとは。

先日読んだ「百年の手紙」と一緒に古書店で購入したもの。

「青春の恋」「今生の別れ」「作家の口説き文句」「夫婦の絆」「皇室の相聞歌」「女たちのドラマ」「天国のあなたへ」の7章で構成されています。

やはりインパクトがあるのは、戦時中を含め、死を前にして書かれたものや、亡き伴侶への思いをつづったもの。大好きな茨木のり子さんの「歳月」からも収録されています。

また、「作家の口説き文句」はなかなか強烈でした。

あとで読むと死ぬほど恥ずかしくても、それを書いた瞬間は、その思いがどうしようもない真実なのですよね。その人の手で書かれた、その人の文字というのも、手紙の価値の一つなのかなと思います。

2016年1月21日 (木)

百年の手紙

2404「百年の手紙」   梯久美子         岩波新書         ★★★★

副題「日本人が遺したことば」。

田中正造の直訴状から始まって、室生犀星の堀辰雄への弔辞まで。有名無名の人々の百通の手紙から見えてくるものとは。

大きく4つの章で構成されています。「時代の証言者たち」「戦争と日本人」「愛する者へ」「死者からのメッセージ」。

全体的に戦争に関わるものが多かった印象です。筆者の選択なのでしょうが、近現代の日本において、戦争がどれだけ大きな影を落としているのか、改めて考えさせられました。

読んでいてほほえましいのは恋文ですね。もっとも、怖いものもありましたが。

「手紙は個人の心情を綴るものでありながら、書かれた時代を鏡のように写し出す。」という、あとがきの言葉が、重く響きます。

これは、震災後まもなく新聞連載されたものが元になっているのだそうな。未曾有の災害を経験した私達は、どんな時代を写し出しているのでしょう。

2013年7月28日 (日)

昭和二十年夏、子供たちが見た戦争

2025「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」 梯久美子   角川文庫   ★★★★

戦争当時、「子供」だった人々は、どんなふうにあの時代を見ていたのか。角野栄子、児玉清、舘野泉、辻村寿三郎、梁石日、福原義春、中村メイコ、山田洋次、倉本聰、五木寛之の10人が語った「戦争」。

「昭和二十年夏、僕は兵士だった」「昭和二十年夏、女たちの戦争」に続く、第3弾。

今までの2編は、本意ではなくても戦争の只中に当事者として関わらざるを得なかった人たちでした。今回は、子供であるがゆえに一歩引いて、大人には見えないものを見ていたような、ドキリとさせられるところがありました。

たぶん、大人は「子供にはわからない」と思っているし、「子供なんだから知らなくていい」、あるいは「子供は気づくわけがない」と思っている。・・・しかし、子供だってわかっていたのです。

強烈だったのは、五木寛之さんの体験。貧しい農家に生まれ、立身出世をめざして朝鮮半島に渡り、教師としてステップアップしていった父親。戦争に負けるなんて考えもせず、何の危機感も持たず、ただ単純に国と軍を信じていた彼の家族が、その後どうなったか・・・。決して多くを語ろうとしない五木さんの姿には、こちらまでやりきれない気持ちになりました。

戦争そのものだけでなく、その中で大人がどう生きていたのか、当時の「子供」たちは、おそろしいほどはっきり記憶していました。・・・ということは、今の我々の姿は、どのように記憶されるのでしょう。

2010年9月 6日 (月)

昭和二十年夏、女たちの戦争

1559「昭和二十年夏、女たちの戦争」梯久美子   角川書店   ★★★★★

戦争中の女性の姿といえば、イメージするのは「軍国の母」「軍国の妻」。では、母でもなく妻でもない女性たちは、何を考えていたのだろうか。10代後半から20代の独身女性だった、近藤富枝、吉沢久子、赤木春恵、緒方貞子、吉武輝子の5人へのインタビューから浮かび上がってきた青春とは・・・。

「昭和二十年夏、僕は兵士だった」の女性版ともいえるノンフィクション。それは、筆者が「ひろしま」という写真集と出会ったことが始まりでした。平和祈念資料館に収められている被爆者の衣服を撮影した写真集。それが、とても美しかったことに、筆者はとまどったのだとそうです。写真を撮った石内都さんに、筆者は尋ねます。「美しく遺品の写真を撮ることは勇気の要ることだったのではないか」と。

「そんなことないわよ。だって、あの洋服たち、もともとは、もっともっときれいだったんだもの。」

・・・あの洋服jは、「史料」ではなく、女性たちが大切に着た服で、死の瞬間まで営まれていた日常があったのだと・・・筆者は実感したのです。

このノンフィクションは、まさに戦中・戦後に営まれていた日常の話です。5人それぞれ、育った環境も違うし、戦後の生き方もさまざまです。それでも、やはり女性は女性、美しいものに惹かれたり、許される範囲でおしゃれをしたり、恋をしたり・・・現代となんら変わるところはないような気もします。でも、「何も実らない」という近藤さんや、「生活というものがちぐはぐだった」という吉沢さんの言葉に、戦争というもののもつ非日常が感じられます。

筆者自身も書いていますが・・・戦争における女性の姿というのは、兵士と関わりのある婦人という位置づけのものが多く、それ以外のことが取り上げられる機会は少ないように思えます。だから、この本は、非常に新鮮でした。

戦争は、日々の営みを一瞬で全く無意味なものに変えてしまうことがある・・・その怖さを、この夏に読んだいくつかの本で痛感させられました。そしてまた、いろんな恐怖や歪みがめぐりめぐって、一番弱い女子供たちが虐げられる元になるのだということも。

筆者は、戦争のイメージをこう表現しています。「理解できない、何だか怖いもの」「簡単に触れたり語ったりしてはいけないもの」「自分たちからあまりに遠くて、共感の余地のないもの」・・・しかし、これを読んでいると、そうではないのだとわかってきます。時代は地続きで、戦時下でも青春はあって・・・でも、それが自由にならなかったことが間違っていたのであって・・・。

連載時のタイトルは「わたしが一番きれいだったとき」だったそうです。そう、茨木のり子さんの詩の題名です。あらためて、あの詩を読み返してみると、「一番きれいだった」と過去形で語らねばならないことが、なんともせつないです。

2010年6月17日 (木)

昭和二十年夏、僕は兵士だった

1514「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子   角川書店   ★★★★

若くして軍隊に入り、戦争を経験し、若いまま終戦を迎えた世代の人たちがいる。トラック島で句会を催していた金子兜太。船が撃沈された時、自分の足にしがみついた兵士をけり落とした大塚初重。徴兵忌避で特高に捕まり、最前線に送られた三國連太郎。爆撃で左腕を失い、マラリアに苦しみながら、ニューブリテン島で生き延びた水木しげる。終戦間際の二つの海戦と沖縄海上特攻を生き延びた池田武邦。彼らにとって、戦争とはいったい何だったのか。そして、何を思って戦後を生きてきたのか。

書店で何度も手に取り、「読みたい。でも、読み切れるだろうか」と迷って棚に戻し・・・を繰り返した本です。やっぱり読もうと思ったのは、水木しげるの話がおさめられているからです。朝ドラ「ゲゲゲの女房」では、淡々と我が道を行くタイプの「茂さん」が、どんな戦争を経験したのだろう、と。

戦争の記憶は、人それぞれです。この本では、5人のインタビューを中心に構成されていますが、みんなそれぞれ記憶していること、それを語るトーン、あるいは語ろうとしないことが異なります。志願した人もいれば、無理やり入隊させられた人もいます。経験した「戦場」もさまざまです。

それでも、この本を読んでいて強く感じたことは、「戦争が終わった後の(あえて戦後とは言いません)日本を創ってきたのは、この世代の人たちなのだ」ということでした。

登呂遺跡の発掘に携わった大塚初重氏は、「自分が教わってきた歴史は何だったんだ」という思いから、物証によって歴史を掘り下げていく考古学の世界に足を踏み入れたのだそうです。戦場で生き延びた水木しげる氏は、その経験が戦後の人生に与えた影響を「幸せに暮らす、という方針になりました」と語っています。それぞれが戦争という極限状況を生き抜いた結果、何かしらの思いを抱えて、新しい時代のスタートを切ったのだということが、よくわかりました。

このノンフィクションは、必要以上に感傷に流されず、「戦争」と、生き延びた人たちの「その後」を記録していきます。そこから見えてくるものは、私たち戦後世代が経験しなかった、あるいは想像すらしなかった「何か」です。その「何か」を、うまく言葉にできないのがもどかしいですが。

2009年10月31日 (土)

昭和の遺書

1418「昭和の遺書」梯久美子    文春新書    ★★★★

副題は「55人の魂の記録」。芥川龍之介から昭和天皇まで、遺書(あるいは絶筆)を集めたもの。新聞の書評で取り上げられていたので、興味をもって購入。
私は、沖縄戦の際の司令官の「沖縄県民かく戦えり」の全文が読みたかったのですが、それ以外にもいろいろと考えさせられるものがありました。
筆者は自らのコメントは最小限にとどめ、淡々と遺書とその背景を紹介していきます。
その結果、浮かび上がってきたのは、「昭和」は戦争の時代であったということです。戦争に向かった時代、戦争に苦しんだ時代、それを否定しつつ、また戦争と向き合わざるを得なかった時代。
私にとって衝撃的だったのは、「戦後」を生きた人たちが、実は戦争で散った人たちと同世代だったという事実です。当たり前のことなのですが、そういう視点で戦後を見たことがありませんでした。
また、二・二六事件の青年将校たちと、昭和天皇はほぼ同世代だったという事実も。だからこそ、彼らは、「天皇はわかってくれるはず」という、強い思いをもてたのだろう、と。

「昭和」を検証する試みは、これからますます盛んになることでしょう。私も昭和人の一人として、自分が生きてきた時代をもっとよく知りたいと思います。

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