吉村昭

2018年1月11日 (木)

冬の鷹

2695「冬の鷹」 吉村昭   新潮文庫   ★★★★

江戸時代、近代医学の幕開けは、「解体新書」の出版から始まった。翻訳者・前野良沢の名は「解体新書」に記されなかった。一方、杉田玄白は「解体新書」を世に出したことで、名声を得た。良沢は、なにゆえ自分の名を記すことを拒んだのか。

NHKの正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇」を見て涙している私に、夫が差し出したのが、「冬の鷹」でした。前野良沢を主人公に、「解体新書」翻訳・出版の過程、杉田玄白との相克などを描いた物語。

先にドラマを見ていたのがよかったのでしょう。あまりにおもしろくて、一気読みしました。ちなみに、脳内ではドラマのキャストに変換されておりました。

学究肌で、人づき合いも嫌い、ひどく潔癖で扱いづらい前野良沢。一方、実務肌で、人を導くのがうまく、明朗な気質の杉田玄白。ともに藩付きの医家であり、同時期に「ターヘル・アナトミア」という蘭書を手に入れた二人。本来ならば相容れないはずの良沢と玄白が、「ターヘル・アナトミア」の翻訳という一点において協力し、その後、全く異なる後半生を送る姿が描かれます。

作者はあとがきに、「二百年前に生きた二人の生き方が、現代に生きる人間の二典型にも思え」たと記しています。それには、深くうなずきました。良沢型、玄白型、どちらも思い当たります。また、自分の中にも、良沢的な要素、玄白的な要素、それぞれあり、共感できるところも多々あります。

医家というより、翻訳者として道を究めんと生涯学び続けた良沢。あくまでも医家としての道を歩み、後進を育てた玄白。この物語は、それまで埋もれていた良沢の人生に光を当て、その生き様を愛情をもって描き出したものです。しかし、それとは対照的な玄白の生き方を否定するものではなく、それぞれの信念の違いとしてとらえています。

また、同じ時代を生きたさまざまな人たちの姿も描かれ、彼らが歴史上の記号ではなく、生身の人間だったということも感じられました。

良沢の孤高の晩年は、その悲哀に胸がつぶれる思いでした。が、本人は、やるべきことをやってたどり着いた結末なので、納得していたのかもしれません。

2011年8月11日 (木)

関東大震災

1739「関東大震災」 吉村昭   文春文庫   ★★★★

大正12年9月1日、午前11時58分。関東大震災発生。首都を襲った直下型地震は、当時の日本に何をもたらしたのか。

「三陸海岸大津波」を読んだ流れで、こちらもつい購入。震災から5か月の一つの区切りに読もうとページを開きましたが・・・あまりに凄惨な記録に、何度も挫折しかけました。でも、「今日読まないと、きっと二度と読めなくなる」、と意地になって読破しました。

人間はなぜ歴史を学ぶのか。それは、同じ過ちを繰り返さぬようにするためではないでしょうか。もちろん、学んでも、人間は過ちを繰り返してしまいます。でも、せめて、「前よりはこういうところは改善できた」と言えなくては。・・・では、関東大震災の記録から、私たちは何を学べるのでしょう。

東日本大震災では、過去の大地震の経験がかなり生かされているとは思います。特に、阪神淡路大震災や中越地震の教訓や支援のノウハウは、いろいろなところで役に立っています。

しかし、関東大震災のおり、政府が不安定で、事実上なんの力も発揮できなかったことや、正確な情報を得る手段を国民がもたなかったことなど、現在との共通点もあります。それがもとで、治安維持のため、情報統制が必要になり、言論の自由が奪われていく過程など、背筋が寒くなるような心持ちでした。

地震そのものもひどかったですが、その後の大火災、さらに飛び交ったデマによる朝鮮人虐殺、大杉栄事件をはじめとする社会主義者の弾圧、その後の復興に向けた動きなどなど・・・関東大震災に関わる出来事がさまざまな角度から記されていて、あらためて自分が何も知らずにいたとわかりました。

子供のころは、関東大震災の話などを聞いた記憶はあるのですが・・・最近はすっかり語られなくなってしまったような気がします。風化したということなのでしょうか。あまりにも悲惨な記録ではありますが、日本人にとっては忘れてはならない記憶だと思うのですが・・・。

2011年6月12日 (日)

三陸海岸大津波

1715「三陸海岸大津波」 吉村昭   文春文庫   ★★★★★

明治29年の大津波、昭和8年の大津波、そして昭和35年のチリ地震津波。三陸を愛し、その海岸を歩き回った筆者が、三陸を何度も襲った津波の記録をまとめたこの本は、大震災の後、ものすごい勢いで売れている・・・というので、うちでも買ってきました。主人はすぐに読んでいましたが、私はどうしても読む気になれず。でも、震災から3カ月というのを一つの区切りとして、思い切って読んでみました。

この記録には、津波に関するデータと、被災者の言葉等がおさめられています。特にも、当時小学生だった人たちの作文は、子どもの視点であるだけに生々しく、胸を打ちます。私も内陸部とはいえ岩手県民なので、津波の話はそれなりに聞いて育ちました。今回読んでいて、「あ!」と思ったのは、この一文です。

「振返ると、まっ黒い大波が、のんのんと押し寄せてきた」

種市村(当時。その後、種市町を経て、現・洋野町)で津波に遭った方の言葉です。私は、これを子どもの頃読んだことがあります。この表現が子ども心に非常に恐ろしく・・・私の津波に対する恐怖心の原点がここにあるような気がします。

とにかく、なぜこういう記録文学が埋もれてしまっていたのか、と思わずにはいられません。津波がどれだけ「想像を絶する」ものなのか、それを私たちは忘れがちだったと言わざるを得ないでしょう。

私たちは何故歴史を学ばねばならないのか。それは、震災以降、私が考えていることの一つです。歴史は繰り返す、といいます。では、その「繰り返し」の中で、私たちはどうすればより良く生きていけるのか。その「知恵」を身につけるためなのではないか、と。

吉村さんの取材は、主に岩手県内です。今回の大津波で被災した地域の名が、何度も出てきました。まさに、津波の歴史は繰り返しなのです。もちろん、誰もが過去の記録をないがしろにしてきたわけではありません。むしろ、考えうる「備え」はじゅうぶんにやってきたはずです。それでも・・・。

最終章では、田老町(当時。現・宮古市)の巨大な防潮堤が何度も登場します。津波に対する備えとして建てた防潮堤。大津波の波高が数十メートルに及ぶことを危惧しながら、筆者は、それでもこのコンクリートの塊が多少なりとも津波の威力を軽減してくれるだろう、と複雑な思いを記しています。その危惧通り、防潮堤は津波になぎ倒されてしまいました。私たちは、このことから何を学ばねばならないのでしょうか。

もう一つ、とても印象的だったのは、昭和の大津波の時の政治家の対応です。岩手県の対応も迅速でしたが、各政党でも代議士を現地視察に次々派遣。被災地の窮状を知った国会では、被災者支援・復興のための議案が、満場一致で可決されたそうです。・・・今の政治家の行動との隔たりにめまいがしました。政争に明け暮れている人たちに、まずこれを読めと言ってやりたくなりました。

人として語り継がねばならないこととは何か。それをつくづく考えさせられました。今回の震災では、膨大な映像が記録されたはずです。それが、今後の人類のための「知恵」のもととなるようにしなければなりませんね。

その他のカテゴリー

「あ」行の作家 「か」行の作家 「さ」行の作家 「た」行の作家 「な」行の作家 「は」行の作家 「ま」行の作家 「や」行の作家 「ら」行の作家 「わ」行の作家 あさのあつこ いしいしんじ こうの史代 さだまさし その他 たつみや章 ほしおさなえ よしもとばなな アンソロジー 万城目学 三上亜希子 三上延 三島由紀夫 三木笙子 三浦しをん 三浦哲郎 三谷幸喜 上橋菜穂子 中山七里 中島京子 中田永一 中野京子 乃南アサ 乙一 井上ひさし 京極夏彦 伊坂幸太郎 伊藤計劃 伊集院静 佐藤多佳子 佐藤賢一 俵万智 倉知淳 光原百合 冲方丁 初野晴 加納朋子 加門七海 北大路公子 北山猛邦 北村薫 北杜夫 北森鴻 原田マハ 司馬遼太郎 吉村昭 吉田修一 向田邦子 坂木司 夏川草介 夏目漱石 大倉崇裕 大崎梢 太宰治 奥泉光 宇江佐真理 宮下奈都 宮尾登美子 宮部みゆき 小川洋子 小川糸 小路幸也 小野不由美 山崎豊子 山本周五郎 山白朝子 岡本綺堂 島本理生 川上弘美 平岩弓枝 彩瀬まる 恩田陸 愛川晶 戸板康二 日明恩 日記・コラム・つぶやき 有川浩 朝井まかて 朝井リョウ 木下昌輝 木内昇 朱川湊人 杉浦日向子 村山由佳 東川篤哉 東野圭吾 松本清張 柏葉幸子 柚木麻子 柳広司 柴田よしき 栗田有起 桜庭一樹 梨木香歩 梯久美子 森博嗣 森絵都 森見登美彦 森谷明子 横山秀夫 橋本治 氷室冴子 永井路子 永田和宏 江國香織 池波正太郎 津原泰水 津村記久子 浅田次郎 海堂尊 海外の作家 深緑野分 湊かなえ 漫画 澤村伊智 澤田瞳子 瀬尾まいこ 田中啓文 田丸公美子 畠中恵 石田衣良 磯田道史 福井晴敏 笹尾陽子 米原万里 米澤穂信 芥川龍之介 若竹七海 茅田砂胡 茨木のり子 荻原規子 菅野彰 菅野雪虫 藤沢周平 藤谷治 西條奈加 西澤保彦 角田光代 誉田哲也 辺見庸 辻村深月 近藤史恵 酒井順子 重松清 金城一紀 門井慶喜 阿部智里 青崎有吾 須賀しのぶ 額賀澪 高城高 高橋克彦 髙田郁 鷺沢萠

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリー