冬の鷹
2695「冬の鷹」 吉村昭 新潮文庫 ★★★★
江戸時代、近代医学の幕開けは、「解体新書」の出版から始まった。翻訳者・前野良沢の名は「解体新書」に記されなかった。一方、杉田玄白は「解体新書」を世に出したことで、名声を得た。良沢は、なにゆえ自分の名を記すことを拒んだのか。
NHKの正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇」を見て涙している私に、夫が差し出したのが、「冬の鷹」でした。前野良沢を主人公に、「解体新書」翻訳・出版の過程、杉田玄白との相克などを描いた物語。
先にドラマを見ていたのがよかったのでしょう。あまりにおもしろくて、一気読みしました。ちなみに、脳内ではドラマのキャストに変換されておりました。
学究肌で、人づき合いも嫌い、ひどく潔癖で扱いづらい前野良沢。一方、実務肌で、人を導くのがうまく、明朗な気質の杉田玄白。ともに藩付きの医家であり、同時期に「ターヘル・アナトミア」という蘭書を手に入れた二人。本来ならば相容れないはずの良沢と玄白が、「ターヘル・アナトミア」の翻訳という一点において協力し、その後、全く異なる後半生を送る姿が描かれます。
作者はあとがきに、「二百年前に生きた二人の生き方が、現代に生きる人間の二典型にも思え」たと記しています。それには、深くうなずきました。良沢型、玄白型、どちらも思い当たります。また、自分の中にも、良沢的な要素、玄白的な要素、それぞれあり、共感できるところも多々あります。
医家というより、翻訳者として道を究めんと生涯学び続けた良沢。あくまでも医家としての道を歩み、後進を育てた玄白。この物語は、それまで埋もれていた良沢の人生に光を当て、その生き様を愛情をもって描き出したものです。しかし、それとは対照的な玄白の生き方を否定するものではなく、それぞれの信念の違いとしてとらえています。
また、同じ時代を生きたさまざまな人たちの姿も描かれ、彼らが歴史上の記号ではなく、生身の人間だったということも感じられました。
良沢の孤高の晩年は、その悲哀に胸がつぶれる思いでした。が、本人は、やるべきことをやってたどり着いた結末なので、納得していたのかもしれません。
最近のコメント