2025年6月 3日 (火)

月とアマリリス

3625「月とアマリリス」 町田そのこ   小学館   ★★★★

自分が書いた記事が人を追いつめた。その事実を受け止められず、記者をやめ、実家の北九州に帰ったみちる。しかし、そこで遭遇した事件が、みちるを再び現場へ。死体遺棄事件から殺人事件へ。それらの事件に、偶然にもみちるの同級生たちが関わっているとわかり・・・。

 

  「ひとはひとで歪むんよ。」

再生の物語でした。

死体遺棄事件の被害者の身元を調べるうちに、別の遺体を発見。その調査の過程で、意外すぎる事実が。年上の幼なじみ・井口の力も借りて、記者としてもう一度事件と向き合う覚悟を決めたみちる。とはいえ、その道のりは簡単なものではなく。

愛した人から愛されたい。そんな当たり前のことが、人を苦しめ、窮地に追い込む。繰り返し描かれるその姿が、切実に哀しかったです。歪んでしまった彼ら。みちるは自分の傷を抱えたまま、彼らと向き合い続けます。それは、単なる正義感ではなく。ある意味、みちるの「歪み」と対峙する作業だったのかもしれません。

事件のクライマックス。祖父が孫娘を抱きしめ、「ごめん」「よう頑張った」と繰り返す場面。泣けてしかたなかったです。「愛されたい」という当たり前の願いが踏みにじられた人が再生するきっかけも、やはり愛なのでしょうね。

ひとはひとで歪む。でも、ひとはひとでまっすぐにもなる。そんな、再生の物語でした。

2025年5月29日 (木)

ドヴォルザークに染まるころ

3624「ドヴォルザークに染まるころ」 町田そのこ   光文社   ★★★★

閉校が決まっている小学校で開かれるお祭り。この小さな町でずっと暮らしてきた日と。この町から離れた人。町に帰ってきた人。それぞれの人生が交錯する一日の物語。

 

「遠き山に日は落ちて」・・・小学校の下校の音楽でした。郷愁を誘うメロディラインは、日本人になじみやすいのかもしれません。そのイメージで本を開いて、第一話の一行目でぶっ飛びました。いきなり、そうきますか(苦笑)

「ドヴォルザークの檻より」「いつかのあの子」「クロコンドルの集落で」「サンクチュアリの終わりの日」「わたしたちの祭り」の5話。

狭い田舎の町。いろんな人間関係が交錯した息苦しい世界。その閉塞感はわかります。そこから出て行きたいと思う人もいれば、満足している人もいる。何の不満もなくても、思わぬ出来事から思いもかけない人生が開けることも。

一つの話の視点人物が、他の話の視点人物から見ると、全然違う印象になるところがおもしろかったです。一話目の類のあの焦燥にも似た思いは、周りの人は誰も気づいていないのですね。人間なんて、そんなものなのでしょう。

ドヴォルザークのこの曲は「新世界より」の一部分。類たちにとっては、この一日を経たこれからが「新世界」なのかもしれません。

2025年5月26日 (月)

楽園の楽園

3623「楽園の楽園」 伊坂幸太郎   中央公論新社   ★★★

大規模停電、ウイルスの蔓延、飛行時事故・・・相次ぐ災厄の原因は、人工知能「天軸」の暴走? 稀なる能力ゆえに選ばれた三人、五十九彦・三瑚嬢・蝶八隗は、「天軸」の開発者・先生が描いた絵画「楽園」を手がかりに、人工知能の所在を探す旅に出た。

 

これは・・・何なのでしょう? 寓話? ・・・怖いんですけど。

「西遊記」になぞらえた話なのはわかります。人並み外れた能力をもつ三人は、孫悟空たち。では、三蔵法師は? AIの開発者たる「先生」?

そして、手がかりの「楽園」に描かれた巨大な榿。「楽園」というタイトルがかえって不穏で・・・。そうして、三人がたどり着いた結末は。

結末自体は予想がつくのですが、怖いのはモチーフとして使われる井伏鱒二「山椒魚」です。あのラストの一行。

  今でもべつにお前のことを怒ってはゐないんだ。

むしろ、「怒っている」からこういう結末になったという方が救われるのですが。人間の傲慢さを、あるいは能天気さを許せないから排除するのだ、と。そこに「怒り」がないのなら・・・何故? この未来は避けようがないということでは。

人はなぜ物語を必要とするのか。近年ずっと考え続けていることへの一つの答えがここにもありました。人を動かすのには理屈より感情。感情を動かすには、言葉より物語。ちょっと怖いですね。

2025年5月23日 (金)

生きる言葉

3622「生きる言葉」 俵万智   新潮新書   ★★★★

ネットの世界、子ども時代の言葉、芝居の言葉、日本語ラップやAI、現代短歌や和歌の世界・・・。自分の発した言葉が真に「生きる言葉」となるために大切なこととは。

 

 この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日

俵万智の代表歌と言ってもいいこの一首。作者は納得していないのだという。リアルタイムで「サラダ記念日」の洗礼を受けた世代としては、唖然とするばかりです。「味」の「JI」という濁音が気に入らないのだとか。そこまでこだわるのか・・・。

そんな万智さんのアンテナに引っかかった言葉のあれこれ。すべてがおもしろかったです。私も言葉にはこだわりたい方ですが、私の感性や語彙は、万智さんと比べたら全然雑(比べるのが間違い)。特に、クソリプの話とホスト万葉集にまつわる話がおもしろかった。そして、「光る君へ」関連の話題が!

すごく腑に落ちたのが、万智さんはもともと国語学・言語学の人だということ。言葉にこだわる姿勢のベースはそこだったか、と。

言葉は完璧なものではない。心や気持ちを正確に表す言葉なんて、ない。それでも。

「言葉は、世界をともに歩く頼もしい相棒だ。」

 

2025年5月20日 (火)

架空犯

3621「架空犯」 東野圭吾   幻冬舎   ★★★★

都議会議員の夫と元女優の妻。二人の遺体は焼け落ちた屋敷で見つかった。無理心中かと思われたが、「犯人」から遺族に脅迫電話が。警視庁捜査一課の五代は、地元署の山尾と捜査にあたる。被害者たちの過去をたどるうちに、思わぬ事態が発生する。「犯人」の狙いは何なのか。

 

本を読み始めたとき、どんなに好きな作家でも文章のリズムになじむまで時間がかかります。大好きな作家さんでも小一時間かかることも。でも、そんな苦労をほぼ必要としないのが、宮部みゆきと東野圭吾です。今回も驚くほどあっさりと物語になじんでしまいました。そして、450ページ余り、あきることなく読ませる構成力とリーダビリティ。さすが、東野圭吾。

そういえば、宮部みゆきに「模倣犯」という作品がありました。こちらは「架空犯」。このタイトルがキーワードだろうと思いつつ読み進めたものの、なかなか「架空犯」の意味がつかめません。「架空の犯人」ってどういうこと?

「白鳥とコウモリ」で登場した敏腕刑事・五代が事件の謎を解き明かすのですが・・・。事件が起こるきっかけは、やはり人間。人間の心、情といった、自分でもコントロールしきれない何かが作用していて、緻密な計画が崩壊するのもまた、その「何か」が絡んでいたり。なぜ「架空犯」が必要だったのか、それを考えるとやりきれないような、切ない気持ちになりました。そういうやるせなさを描くのが、東野圭吾は上手いです。

 

2025年5月15日 (木)

禁忌の子

3620「禁忌の子」 山口未桜   東京創元社   ★★★★

救急武田航のもとに運び込まれた溺死体は、武田に瓜二つだった。周囲も動揺するほど身体的特徴が同じ遺体に直面した武田は、旧友の医師・城崎と共に調査を始める。「彼」は誰なのか。なぜ死んだのか。鍵を握る人物にたどり着くが、その人物は武田との面会の日に死体となって発見される。

 

第34回鮎川哲也賞。

書評等がかなり高評価だったので、期待して手に取りました。忙しくて細切れにしか読書時間がとれないのですが、とにかく続きが読みたくて、少しでも時間があればページを開いて。細切れ読書でも、読み始めると物語にスルッと入り込んでしまう。そんな力をもった小説でした。

「似ている」というレベルを超えてそっくりな遺体。当然、出生の秘密があるだろうと検討がつきます。しかし、遺体の身元は不明。武田の両親もすでに亡く。旧友で偶然同じ病院に勤務していた医師・城崎と再会したことで、手がかりにたどり着くのですが・・・。

城崎の人物像(どんな感情も長続きしない。普通の人に擬態するため、他人をよく観察している)が探偵役としてうまく機能していました。(先日読んだ阿津川辰海「館シリーズ」の苦悩する探偵とは真逆な感じで) そういう城崎だから、最終的に「禁忌」に踏み込んで、明らかにし、武田たちの生きていく道を残したわけで。

終盤、かなりエモーショナルな展開になり、結末の「禁忌」の是非も勢いで流されてしまった感はありますが・・・。ただ、物語(フィクション)としての読ませる力はすごいものがありました。そして、フィクションを支えるのは、細部のリアルだということを実感。

期待を裏切らないおもしろさでした。

2025年5月12日 (月)

目には目を

3619「目には目を」 新川帆立   角川書店   ★★★★

少年院を退院したのち、被害者遺族に殺害された少年A。遺族が彼の居場所を見つけたのは、少年Bが密告したからだという。ライターの仮谷苑子は、少年院で同じ班だった6人にインタビューを試みる。彼らはどんな人間で、少年院でどんな時間を共有したのか。なぜ、少年Bは少年Aのことを密告したのか。取材の結果、仮谷がたどり着いた場所は・・・。

 

「これは、贖罪と復讐の物語である。」

序章の言葉がすべてを象徴していました。

重い罪を犯して少年院送致となった6人の少年たち。退院して、それぞれの生活を送るうち、その中の一人が殺される。殺したのは少年Aに娘を殺された母親。懸賞までかけてAを探した母親は、Aを殺害。「目には目を」と言い放つ母親に、事件を調べている仮谷はどう向き合うのか。

読みながら、何度も「これはフィクションだから」と自分に言い聞かせなけれななりませんでした。というのは、「これはあの事件?」「こういうの、あったな」と思ってしまうリアルさなので。どこかで見聞きしたような生い立ちの6人。ノンフィクションを読んでいるような気分でした。

元少年たちの態度にはイライラさせられたし、これがどう決着するんだ?と思っていたのですが、後半、見えていた世界が反転します。そういうことだったのか・・・。では尚更、この物語はどこへ向かうのか?

そう、「贖罪と復讐」でした。

人の命を奪った贖罪は、どうすればかなうのでしょう。人として、復讐は認められない。では、どうすれば。

簡単に答えの出ない問いに、作者なりの答えを提示した結末。仮谷の手紙を読みながら、深く頷きたい気持ちになりました。贖罪なんて簡単にできないけれど。

法曹の世界にいる作者だからこその物語でした。

 

2025年5月10日 (土)

フェルメールとオランダ黄金時代

3618「フェルメールとオランダ黄金時代」 中野京子   文春文庫   ★★★★

絵が好きで絵が得意な国民性ゆえ、国中に絵があふれていた17世紀のオランダ。歴史上日本との関係が深いオランダの黄金時代を、絵画を手がかりに紐解く一冊。

 

「この世は神が造ったが、オランダはオランダ人が造った」・・・干拓事業や堤防造営、人工島建設、運河整備などにより、低い土地(ネーデルランド)を国として造りあげたオランダ人の自負がにじむ言葉。そんなオランダで、ヨーロッパで初めての風景画が生まれたのだという。実におもしろい。

ヨーロッパでは中世キリスト教の影響で景色を愛でることを良しとせず、さらに人間中心主義ゆえに自然は人間の背景という捉え方があったのだという。それゆえ、純粋風景画の誕生は遅れた。しかし、オランダはプロテスタントが多く、さらに自然を制し自分たちで造りあげた景色を誇りをもって絵画に落とし込んだのだ、と。

日本のように災害に苦しめられながら自然を愛でる国とは真逆に近い感覚だと思うのですが、そんな国でそれぞれ風景画が発展したというのがおもしろい。日本の風景画とは異なり、人工物が多いオランダの風景画は、広大無辺な空が特徴とのこと。実際、それを見てみると日本とは異なるけれど、なんとなくしっくりくる気がするから不思議です。

「絵画」という鍵から見えてくるもののおもしろさを堪能しました。

 

 

2025年5月 7日 (水)

黄土館の殺人

3617「黄土館の殺人」 阿津川辰海   講談社タイガ   ★★★★

大学生になった「名探偵」葛城と助手の田所のもとに、かつての名探偵・飛鳥井光流から手紙が届いた。「力を貸して」というメッセージを受け取った二人は、友人の三谷と一緒に飛鳥井が滞在する荒土館に向かう。周囲を崖に囲まれ、四つの塔をもつ異様な館の主・土塔雷蔵は、世界的なアーティスト。三人の娘たちもぞれぞれ芸術方面で名を馳せているが、長男の黄来だけが才能に恵まれず、父から粗略な扱いを受けていた。その長男と婚約している飛鳥井と再会した直後、大地震が発生。土砂崩れにより、葛城は田所たちと分断されてしまう。地元の旅館にたどり着いた葛城は、宿の女将の命を狙う人物と相対し、黄土館に入った田所は連続殺人事件に巻き込まれる。

 

「紅蓮館」「蒼海館」につづく3作目。今回は、大地震による土砂崩れからのサバイバルと連続殺人事件。葛城と田所が離ればなれになり、それぞれに事件に遭遇。探偵と助手がそれぞれ事件の真相に挑みます。さらに、田所の憧れの人であり、「紅蓮館」の事件で葛城のアイデンティティを粉々にした飛鳥井光流が再登場。名探偵であることを否定してきた飛鳥井の復活の物語でもあります。

登場人物それぞれの見せ場があり、大仕掛けのトリックもあり、真犯人「狐」は誰か?という謎と、その動機は?という謎と。600ページの中にミステリの醍醐味がてんこ盛りでした。物理的トリックは苦手なので、その辺は読み流してしまいましたが。飛鳥井の物語に決着が着いたのでスッキリしました。葛城たち三人組のバランスも良く、物語世界に入りやすかったです。

これで完結?と思ったら、もう一作加えて「館四重奏」という趣向なのですね。館を地水火風の四元素になぞらえ、さらに災害から立ち上がる姿を描くという。「紅蓮館」が火と夏。「蒼海館」は水と秋。「黄土館」は地と冬。ということは、次は風と春。どんな災害が、どんな館を襲うのでしょうね。次は、田所の兄が再登場するのでしょうか。

2025年5月 3日 (土)

李王家の縁談

3616「李王家の縁談」 林真理子   文藝春秋   ★★★

梨本宮伊都子妃は悩んでいた。鍋島家から皇族に嫁いだ美しく聡明な伊都子妃を悩ませているのは、長女・方子の縁談。皇太子妃にとも望んでいたが、その夢は潰え、早急に嫁ぎ先を決めなければならない。もちろん、宮家とつりあう家格の青年と。伊都子妃が見出したのは、朝鮮王朝王世子・李垠。日韓併合によって事実上の王権を失い、皇族に準じる扱いを受けている李垠殿下との縁談に、誰もが仰天したが・・・。

 

ずいぶん前に「梨本宮伊都子の日記」が話題になったことがありました。印象に残っている一節は、「日本ももうだめだ」というもの。戦後、皇太子の婚約が発表されたおりの記述。これを知った当時、愕然としたものです。

今の私ならば、身分制度とか、価値観の違いとか、宮家の人たちの視点ではそうでしょうね・・・と思うこともできます。それでも、ザラザラした気持ちは残ります。この小説は、ずっとそのザラザラを抱えながら読まねばなりませんでした。

一応、民主主義の世の中で生まれ育ち、人は皆平等だと教えられて育った身としては、伊都子の価値観は軽いカルチャーショックでした(苦笑) 頭ではわかっていても、傲岸不遜という言葉が脳裏をよぎります。娘も李垠も一人の人間であるという感覚がない。それはまた、伊都子自身もそのように扱われたことがないからでしょう。それは彼女だけでなく、いわゆる「身分の高い方々」には当たり前のことで。

日韓併合にしても、伊都子の考えはあまりに無邪気で、めまいがしました。でも、知らなければそんなものなのでしょうね。

この小説のスピンオフ「皇后は闘うことにした」とセットで読むと、皇族の縁談がどんなものだったのかが見えてきます。

人権って大事ですね。

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